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2021年10月21日
保育・介護に関わる産業を冷遇し続ける社会
現在、日本人の平均年齢は約47歳だそうです。いわゆる団塊ジュニア世代です。総務省の年代別の人口集計を参考に1972年産まれを100として比率を産出すると1980年で80%を、1986年で70%を、2001年で60%を、2014年に50%を下回っています。2019年は45.04%となっています。新型コロナウイルスの問題で少子化はさらに加速されていると思います。日本社会の問題は高齢化よりも少子化の方が重大問題でしょう。
1989年に出版された「河合隼雄全対話3 父性原理と母性原理」の中で鶴見俊輔と次のような対話をしている部分がある。
『鶴見 ― もうひとつこの本のテーマは老年ですね。
老いて死んでいくとき、そばにいてくれるものとしては女性がいい。女性のほうが死にゆくものの看取りがよくできる。これは女性の光栄というか、たいへんなことですよね。男性社会でそれを悪く利用されて、寝たきり老人の九割は女性が世話している。しかも無償で。それに対して私たちは評価しなきゃいけない。経済的な裏付けをしなきゃいけない。
河合 ― 全くそうです。彼女がすごく評価していることが、実際は経済的に実に低く評価されている。アメリカという国では、男性的といわれる仕事のほうは経済的価値が高すぎる。死んでいく人のそばにいてくれる人にはものすごいお金を払っていいはずですよ。そうでしょ、元気なとき、ワッショイ、ワッショイって神輿かついでくれる人なんかには金はいらんですよ。静かに死ねるためにほんとにハタにおった女性なんてのはすごく価値があるんです。ところが経済的には低い。
ここでひとつ言えるのは、そのような仕事は、以前は金で買えないものだからという考えもあったのじゃないか。金で買えない大事なことに、お金をあげるなって非常に失礼だという感じ方ですね。ところがいまのわれわれの社会の中では、経済的価値でものごとを見る。そういうふうに考えると、女性原理に基づく仕事に対する報酬という問題は非常に重要だと思いますね。そこで気の毒なのは、女性原理の仕事をしていれば非常に安定している女性が、ムリに男性原理の仕事をしてそれに向いていないというとき、ごく少ない金にしかならない。深く考えるべき問題があります。』
日本が工業化していく過程で原発は経済成長の要だという意識が政府、経団連には強くあったはずである。エネルギー問題は国の存亡に直結するだけに、電力関連の産業を電源三法で手厚く保護し、そして一基の原発だけでも何千億というお金が動く原発事業には巨大な利権が絡み続けているのだろう。
福島原発について大沼安史は次のように言っている。東電の「廃炉に向けた『中長期』ロードマップ」によると、「フクイチ廃炉」は遅くとも2051年に完了することになっている。もちろん、これは「スーパーヒーロー」級の廃炉ロボットが現れるので技術的なブレークスルーがあっての話で、いまのところ「空想」に過ぎないが、かりのその時点で全てが終わるにせよ、投入される「人材」は1日5千人ペースが続くとして、延べ約6千万人に達する。フクイチの現場は、日本人はもちろん人類としても初めて経験する、人間の労働を際限なく吸い込み続ける巨大なブラックホールである。
小熊英二氏によれば、『高速増殖炉「もんじゅ」は1日5千万円とも言われる費用を投じながら動かせていません。(1兆2千億円以上の費用を投じてきた「もんじゅ」は2018年3月に廃炉が確定。これから3,750億円を投じ30年かけて廃炉にするとの事だが技術的な目途は全く立っていない。— 技術的な目途が立っていないのに何故、費用が算定できるのだろうか?— )青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設は、1993年から建設を開始しましたが、当初予定の3倍近い2兆2千億円を費やしても技術的問題が解決せず、1日3億円とも言われる維持費をからながら本格運転できないでいます。』実質的に何も生み出さないどころか、負の遺産にしかならない物にこれだけのコストをかけ続けてもいわゆる原子力村を保護し続けているのである。そして、核燃リサイクルという虚構が破綻し行き場を失った放射性廃棄物を政府は地層処分しようとしています。
私達の住む日本の地球上に占める陸地面積の比率は0.25%です。4つのプレートがひしめき合う地震の多発地帯です。また、世界の活火山(1548)の7%(108)が日本にあるそうです。これが私達の住む地球上0.25%の陸地の地質的条件です。このような条件において原子力発電所を推進していくこと自体大きな問題を孕んでいると思います。かつて、原発推進派は安全性において地震で原発にトラブルが発生することはないといっていました。いざ実際に被害が発生すると「想定外の地震」と言います。原発稼動にともなう放射性廃棄物について、半減期が二万年以上のプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物を、政府は「深地層処分」する方針で、原子力発電環境整備機構の自作自演的Q&Aによると「なぜ地上での管理ではなく地下に処分するの?」という質問に対して、答えを要約すれば「管理を続けなければ安全が保てないようなシステムであってはいけない」だから、安定した「深地層部」に高レベル廃棄物を埋めるということです。極めて官僚的な詭弁的論法です。この人達は何ら実質的責任を負いません。いざ問題が発生すれば、「想定外でした」以上、お仕舞、でしょう。先に書いたように数万年の時間スケールで日本に安定な地層がそもそもあるのでしょうか。
工業化を推進してきた産業界は自分達が日本経済を牽引してきたと思っているのだろう。確かに山を築きて来たのだろう。だが、原発に象徴されるようエネルギーを大量に使用する産業は、せっせと深い谷を将来世代に注入して現在の山を成り立たせているだけではないのか。
乳幼児期に情緒的安定性の高い大人に保育されることが、その子の将来にとってどれだけ大切なことか。保育とは誰にでもできる簡単な仕事なのだろうか。
老いて人の手助けが必要になった時、人の痛みに対して深い洞察力のある人に介護されるのとそうでないとの違いが想像できるだろうか。フィジカル面に於いても、メンタル面に於いても高い見識を持ち、かつ、人の痛みに対して深い洞察力のある介護士であったならば、年収が1500万円以上であってもおかしくはないと思う。
岸田首相は保育・介護従事者の処遇を改善すると言っているが、所詮、選挙前のリップサービスでしょう。日本社会の価値選択の総和としての統治体質に於いて少子化が進むのは必然のように思う。早晩、出生数が80万人(40%未満)を下回るだろう。
ケアプランふくしあ 木藤
1989年に出版された「河合隼雄全対話3 父性原理と母性原理」の中で鶴見俊輔と次のような対話をしている部分がある。
『鶴見 ― もうひとつこの本のテーマは老年ですね。
老いて死んでいくとき、そばにいてくれるものとしては女性がいい。女性のほうが死にゆくものの看取りがよくできる。これは女性の光栄というか、たいへんなことですよね。男性社会でそれを悪く利用されて、寝たきり老人の九割は女性が世話している。しかも無償で。それに対して私たちは評価しなきゃいけない。経済的な裏付けをしなきゃいけない。
河合 ― 全くそうです。彼女がすごく評価していることが、実際は経済的に実に低く評価されている。アメリカという国では、男性的といわれる仕事のほうは経済的価値が高すぎる。死んでいく人のそばにいてくれる人にはものすごいお金を払っていいはずですよ。そうでしょ、元気なとき、ワッショイ、ワッショイって神輿かついでくれる人なんかには金はいらんですよ。静かに死ねるためにほんとにハタにおった女性なんてのはすごく価値があるんです。ところが経済的には低い。
ここでひとつ言えるのは、そのような仕事は、以前は金で買えないものだからという考えもあったのじゃないか。金で買えない大事なことに、お金をあげるなって非常に失礼だという感じ方ですね。ところがいまのわれわれの社会の中では、経済的価値でものごとを見る。そういうふうに考えると、女性原理に基づく仕事に対する報酬という問題は非常に重要だと思いますね。そこで気の毒なのは、女性原理の仕事をしていれば非常に安定している女性が、ムリに男性原理の仕事をしてそれに向いていないというとき、ごく少ない金にしかならない。深く考えるべき問題があります。』
日本が工業化していく過程で原発は経済成長の要だという意識が政府、経団連には強くあったはずである。エネルギー問題は国の存亡に直結するだけに、電力関連の産業を電源三法で手厚く保護し、そして一基の原発だけでも何千億というお金が動く原発事業には巨大な利権が絡み続けているのだろう。
福島原発について大沼安史は次のように言っている。東電の「廃炉に向けた『中長期』ロードマップ」によると、「フクイチ廃炉」は遅くとも2051年に完了することになっている。もちろん、これは「スーパーヒーロー」級の廃炉ロボットが現れるので技術的なブレークスルーがあっての話で、いまのところ「空想」に過ぎないが、かりのその時点で全てが終わるにせよ、投入される「人材」は1日5千人ペースが続くとして、延べ約6千万人に達する。フクイチの現場は、日本人はもちろん人類としても初めて経験する、人間の労働を際限なく吸い込み続ける巨大なブラックホールである。
小熊英二氏によれば、『高速増殖炉「もんじゅ」は1日5千万円とも言われる費用を投じながら動かせていません。(1兆2千億円以上の費用を投じてきた「もんじゅ」は2018年3月に廃炉が確定。これから3,750億円を投じ30年かけて廃炉にするとの事だが技術的な目途は全く立っていない。— 技術的な目途が立っていないのに何故、費用が算定できるのだろうか?— )青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設は、1993年から建設を開始しましたが、当初予定の3倍近い2兆2千億円を費やしても技術的問題が解決せず、1日3億円とも言われる維持費をからながら本格運転できないでいます。』実質的に何も生み出さないどころか、負の遺産にしかならない物にこれだけのコストをかけ続けてもいわゆる原子力村を保護し続けているのである。そして、核燃リサイクルという虚構が破綻し行き場を失った放射性廃棄物を政府は地層処分しようとしています。
私達の住む日本の地球上に占める陸地面積の比率は0.25%です。4つのプレートがひしめき合う地震の多発地帯です。また、世界の活火山(1548)の7%(108)が日本にあるそうです。これが私達の住む地球上0.25%の陸地の地質的条件です。このような条件において原子力発電所を推進していくこと自体大きな問題を孕んでいると思います。かつて、原発推進派は安全性において地震で原発にトラブルが発生することはないといっていました。いざ実際に被害が発生すると「想定外の地震」と言います。原発稼動にともなう放射性廃棄物について、半減期が二万年以上のプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物を、政府は「深地層処分」する方針で、原子力発電環境整備機構の自作自演的Q&Aによると「なぜ地上での管理ではなく地下に処分するの?」という質問に対して、答えを要約すれば「管理を続けなければ安全が保てないようなシステムであってはいけない」だから、安定した「深地層部」に高レベル廃棄物を埋めるということです。極めて官僚的な詭弁的論法です。この人達は何ら実質的責任を負いません。いざ問題が発生すれば、「想定外でした」以上、お仕舞、でしょう。先に書いたように数万年の時間スケールで日本に安定な地層がそもそもあるのでしょうか。
工業化を推進してきた産業界は自分達が日本経済を牽引してきたと思っているのだろう。確かに山を築きて来たのだろう。だが、原発に象徴されるようエネルギーを大量に使用する産業は、せっせと深い谷を将来世代に注入して現在の山を成り立たせているだけではないのか。
乳幼児期に情緒的安定性の高い大人に保育されることが、その子の将来にとってどれだけ大切なことか。保育とは誰にでもできる簡単な仕事なのだろうか。
老いて人の手助けが必要になった時、人の痛みに対して深い洞察力のある人に介護されるのとそうでないとの違いが想像できるだろうか。フィジカル面に於いても、メンタル面に於いても高い見識を持ち、かつ、人の痛みに対して深い洞察力のある介護士であったならば、年収が1500万円以上であってもおかしくはないと思う。
岸田首相は保育・介護従事者の処遇を改善すると言っているが、所詮、選挙前のリップサービスでしょう。日本社会の価値選択の総和としての統治体質に於いて少子化が進むのは必然のように思う。早晩、出生数が80万人(40%未満)を下回るだろう。
ケアプランふくしあ 木藤
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