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2021年08月13日

大人の能力(努力の方向性)

 ケアマネジャーという資格は更新制ということもあり比較的研修の多い職種です。国が目指す地域包括ケアシステムが上手く機能していないのは個々のケアマネジャーの能力が低いからだとの事で、その底上げをする必要があると考えているようです。しかし、いい歳になった私は研修をすれば能力が向上するという考えを今一つ信用することが出来ない。

 能力というものを三角形的にイメージし、底辺を資質、努力を垂直方向へのベクトルとして、それを面積として考えた場合、仮に資質10の者が2努力した場合、能力は10である。資質1の者が20努力した場合、能力は10である。だが、努力すれば報われるというのは限られた範囲の中での話で現実はそれ程甘くはない。底辺が大きくなければ、いくら努力を積み上げても高さも形成されない。身体動作を伴うスポーツを考えれば明白である。日本人の場合どんなに努力しても100mを9秒台で走れた人間は4人(そのうち一人はハーフ)だけである。資質の無い者がどんなに努力しても能力が高まることはない。それどころかスポーツマンやピヤニストなど資質のある者が努力のし過ぎでイップスやジストニアを発症し、資質が台無しになってしまう事もあるのである。

 幼児が母語を習得していく過程で努力感はあまりないと思う。何かの能力を習得していく過程で努力感が募ってくるのは恐らく、資質上の限界点が見えて来ているという事だろう。真正の能力向上は努力感が苦にならない(充実感に満ちている)時に形成されるもののように思う。多くの日本人が中高生という生物学的には成長期にある時期に英語を学習しても実用レベルまで習得することができないのは、言語習得という資質に関しては10代半ばで既に減衰してしまっているという事だろう。

 垂直方向での能力の向上は生物学的成長がほぼ完成する二十歳前後までに形成されたものがその人のベースで、それがその後の人生で上昇したとしてもごくわずかだと思う。成長後の大人に要求されるのは経験による成熟という水平方向的な広がり、イメージとしては三角形的なものから台形的になって行く感じだろうか。その者の持つベースに応じたレベルで、いろいろと経験し幅が広がって行き社会的能力が身に付いていく訳で、常識的に考えれば能力差は広がる事はあっても縮むことは無い。

 坂東玉三郎が以前、師匠から受ける注意は一回だけ、その時その注意の意味を理解できなかったとき二度と注意はしてくれませんと、言っていたがそれが大人の指導というものだろう。厳しさというより合理的判断なのである。注意の内容の重要性を感じ取る資質が受け手に無い場合、いくら注意しても時間の無駄なのである。要するに資質がないのである。自分の資質に応じた範囲内でしか人は成長できい。それだけの事である。(逆も真で、自分の資質を超えて人を指導することは出来ない。指導される側の資質が勝っている場合、指導者にそれを受け入れる度量がないと、威圧という手段をとることになる。)

 中年以降に能力向上の伸びしろなどないであろう。中高年を対象とした能力開発などと言ったものはフィクションであって、現実には能力の減衰が始まっている。もはや指導の対象者ではないのである。自然は冷徹である。中高年に必要なのは能力向上にむけた無駄な努力ではなく、どの様に自分自身を経年変化させていくかだと思う。自分を変えられるのは自分だけである。私が思うに中高年以降に大切なのは心を如何にしなやかにして行けるかだと思う。社会的成功を収めても晩年になって重度の心の硬化を発症し人間的にはまったく魅力のない高齢者もいれば、例え認知症になっても人間的に魅力的な高齢者も結構いるものである。

 心をしなやかにしていくにはどうすればいいのか。「初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね」という茨木のり子の言葉が示唆に富んでいると思う。「自分を大切にするように、隣人を大切にせよ」「たとえ敵対する相手でも人として大事にしろ」というマルコの言葉を思い出す。人は人を人と思うレベルに応じて人格が陶冶され、人は人を人と思わなくなるレベルに応じて心が硬化し醜悪になって行く。

 中高年になり若い時に比べ不機嫌になることが増えたり、他人を許容できなくなってきた場合には、自分の能力以上の事に手を出し過ぎていないかどうか、自分の生き方に何か問題がなかどうか、自分自身の退行から眼を逸らさず冷静に見つめ直す必要があると思う。人を人と思うゆとりを失わない為に。

ケアプランふくしあ  木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 11:24コメント(0)
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2021年02月24日

第二の人生を力強くスタート

こんにちは、1月からケアプランふくしあにお世話になっています、大原です。
リタイア後、介護保険者証も受け取り皆さんと近い介護支援専門員になりますが、若いスタッフに囲まれて楽しく仕事を再開しています。
コロナのワクチン接種がいよいよ始まっています。私も65歳以上の高齢者で対象になります。順番が回ってきたら受けたと思っています、皆さんはどうでしょうか?      
接種後の不安も大きいと思いますが一人でも多くに方が接種できて、また前のような日常生活が戻ってくるならば・・・と強く思います。今外出も控えていたり、人との交流の機会が減っています、身体にもいろいろ影響が出てきています。前のように外出ができ、人との交流が取れて楽しく毎日が送れて、今年の桜をすっきりした気分で家族や友達、一人静かに眺めたいです。                          
 花粉対策もしっかりしましょうね。 元気に過ごしてください。  
     ケアプランふくしあ 大原  
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 17:09コメント(0)
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2021年02月18日

雨水

 寒暖差が大きい日が続いておりますが、皆さま体調変わる事なく過ごせておりますでしょうか?

 さて、本日は雨水です。“雨水とは空から降るものが雪から雨に変わり、積もった雪や氷も解けて水になる“という意味だそうです。農耕の準備を始める目安とされ、春一番が吹く目安にもなっています。加えて雛人形をこの日に飾ると良縁に恵まれると言われているそうです。

 なぜこの話題を書き出したかといいますと…先日訪問したご利用者様の家にとっても立派な雛人形が飾ってありました。その時はどうしてこの時期に?と思っていたのですが、このブログを書くにあたり調べていて合点がいきました。しっかり行事を知っている事、行っている事ってとても素敵な事ですね。
 更に、別のお宅では数日前に蒔いた種から芽が出てきたと見せてくださりました。外出できなくても色々な物事を知っていて楽しまれている姿はとても尊敬します。
 行事をしっかり知っていて行う事って簡単そうに聞こえますが、中々出来ない事と思います。ご利用者様の所にお邪魔して行事事に飾りをしたり行事食を召し上がっているのを見かけると時代や世代という理由で無くしてしまうのをとてももったいなく感じます。
…私自身も雨水を知らなかったので反省を込めて今回のブログと致します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
                                            
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 13:41コメント(0)
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2021年02月01日

新型コロナウイルス感染拡大による対応

 1月に入ってから吉川市においても新型コロナウイルスの感染状況の様相が変わってきた印象があります。1月31日時点での吉川市の感染者累計216名、近隣の越谷市1,229名、三郷市584名、松伏町72名(1/28)となっています。私たちの日常の業務においても、陽性者の方と接する機会が出てきているような状況となっております。かような状況を受け、当事業所は職員の分散出勤という業務形態を取り入れリスクの分散と事業の継続を図っていくことと致しました。
 新型コロナウイルスの潜伏期間は14日間であるとされており、平均では4〜6日ほどで発症するようです。検査の結果、新型コロナウイルス感染が陽性であった場合には、発症する3日前から発症後7~10日間程度が感染可能期間、いわゆる人にうつしてしまう可能性のある期間とされています。
 潜伏期間が14日間あることから、新型コロナウイルス感染者と濃厚接触した場合には、14日間の隔離が必要とされています。
 今後、市内の感染状況に応じて、ご自宅への訪問は避け電話での相談や状況確認をさせて頂いたり、訪問が必要な時には、出来るだけ『1メートル以上の距離、15分以内』の滞在を心掛け私たち自身も感染拡大の媒介者にならないよう充分注意して参りたいと存じます。
 皆様には担当ケアマネジャーと連絡が取りにくいといったようなご不便をおかけする事があろうかと思います。2グループに分かれて交代で出勤していますので、ご相談いただいた内容については担当ケアマネジャーに連絡・調整・対応させていただきます。何卒ご理解とご協力のほどお願い申し上げます。

 PCR検査の感度は北海道大学大学院医学研究院の豊嶋崇徳教授らの調査によると、約90%、特異度は99.9%以上だそうです。特異度が99.9%以上という事は、偽陽性の問題は殆どないのでしょうが、感度が約90%(検体採取時の手際や時期の影響がかなり大きいのであろうと思います)ということなので、数字上、新型コロナに感染していたとしてPCR検査を10回受けた時1回は陰性(偽陰性)の判定が出てしまうということなので、なかなか悩ましい数字だと思います。
 感染症法上、新型コロナウイルス感染症については、期限付きで指定感染症2類相当として位置付けられていますが、その期間が令和3年2月6日をもって終了します。医療のひっ迫状況によっては、3類、4類相当として新たに位置付けられる事になるかも知れません。それによって医療、介護業界も影響を受ける事になると思われますので、注視して行きたいと思います。緊急事態宣言も2月7日までとなっておりますが、現状では延長になりそうです。
 新型コロナウイルス感染症の拡大は続きそうです。立春近しとはいえまだまだ寒い日も続きそうです。くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。
          ケアプランふくしあ  木藤  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 10:24コメント(0)
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2020年10月28日

インフルエンザ予防接種してきました

コロナ禍の中、プラスでインフルエンザ予防が必要な季節になってきました。face_08
予防で大切なことの中に、マスクはもちろん、加湿、そして予防接種。その他にも歯科医院からの通信の中に舌のケアでインフルエンザの予防につながるとありましたので、ここに紹介します。

口の中は毎日覗くことができます。毎日覗くことで、何かの異常のサインに気が付くことができるかもしれません。
STAR BLUE舌苔(ぜったい)とは?
細菌や食べかす、剝がれた粘膜などが舌の表面に付着してできた白い苔状のかたまりです。舌の表面に舌乳頭という細かい突起がたくさんありこの中に食べかすなどがたまり、細菌の住み家になります。face_08
1日1回のペースで下の清掃を行うことで、口臭予防するだけでなく、インフルエンザや誤嚥性肺炎の予防に繋がります。
日中は唾液の分泌で細菌の増殖を抑えられますが寝ている間は唾液の分泌が減少し、自浄作用が弱くなるので、細菌のかたまりである舌苔の付着量は朝が1番多いと言われています。
STAR BLUEお手入れ方法
乾燥がある場合はまず指などで保湿剤を舌に塗り舌専用ブラシで喉の奥から手前に引きます。デリケートな部分なので力を入れすぎないようにすることが大切です。face_10

暑い夏が終わり、秋になり、秋晴れのさわやかな1日は今までに何日もないような気がします。
秋晴れとははれ
 雲ひとつない晴天の事。秋晴れをもたらすのは、秋の移動性高気圧で日本上空を乾燥した空気で覆うため空が一層澄んで見えます。また秋は夏と比べて日差しが弱まることも、すがすがしい心地にさせる理由の一つです。
さわやかな秋晴れの日を大切に、どう過ごすか考えたいと思います。

  ケアプランふくしあ 檜木

  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 11:28コメント(5)
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2020年10月14日

「閉じ込め症候群(locked-in syndrome)」

 この仕事をしていると神経難病により徐々に動けなくなっていく方と関わる機会がある。その代表的な病気としてALSやパーキンソン病、多系統萎縮症(脊髄小脳変性症)などがある。これらの病気は真綿で首を締められるように段々とほぼ全身を動かす事が出来なくなり(閉じ込め症候群)、寝たきりとなって行く。
 一方、脳幹の一部である橋と言われる部分(橋腹側部)が広範囲に障害(脳血管障害)されると、錐体路(神経の伝導路)と第5以下の脳神経の運動を司る伝導路が障害されるため垂直方向の眼球運動と瞬き以外の随意運動がすべて障害される。橋の背側にある感覚の経路と網様体は障害されない為、感覚は正常で、意識は清明である。救命されベッド上で意識が戻った時、ほぼ完璧な「閉じ込め症候群」になった自分を自覚する事になる。
 このような回復の希望がない方の担当を依頼されたとき、正直、担当することを逡巡する時がある。

 脊髄小脳変性症により25歳で夭逝された、木藤亜也の「1リットルの涙」からその経過を拾ってみる。
【16歳】
・たった3メートルの幅の廊下が渡れない。
【17歳】
・バ行、マ行の発音がしにくい。
 《バ行もマ行も唇を閉じないと発音できない音なので、ストローで液体を吸うという動作もし辛くなっていたのかも知れない》
【18歳】
 髪を切りました。だけどわたしは鏡を見ません。澄ましこんだ自分を見るのが嫌いなのです。また、いつも人に見せるような、あのニマーとした笑いや、ギュッと目をつむるとこなど、見られやしないからです。
《あのニマーとした笑いというのは、脳幹の障害からくる「強制笑い(意思や感情とは無関係)」のことだろう。》
 頭の中に描く自分の姿は、健康だったころの普通の女の子しか浮かばない。姿見に写った自分は美しくなかった。背中が曲がって上半身が傾いている。
《病的な痩せ、筋緊張の亢進からくる関節の変形など病状の進行と共に容姿も変容して行く》
 できなかったことが、厳しいリハビリでできるようになった、という事実が一つでも欲しい。
《慰めの言葉など何の役にも立たない魂の叫びに対して、支援者側は自分自身の無能性を前に、バカ面を下げて突っ立っている事しかできない。》
【19歳】
 人の役に立ちたい→人に迷惑をかけないように自分のことだけでもやるようにしよう→人の世話にならんと生きていけない→人の重荷になって生きていく・・・・・・これが私の生い立ち!
 お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、たつことができなくなりました。
 死ねないから、しょうがないので息をして生きています。恐ろしい、言い方です。
《何かが出来る事、何かを成し遂げる事 (to do) によって、自分自身の存在理由が支えられていることは事実だろう。だが、それが出来なくなった時、人を支えてくれるのは、存在している事、生きている事 (to be) それだけで存在理由があるという視点で支えてくれる人間が周囲にいること、そういう人間関係が築けている事が必要なのだろう。人生の晩年に於いて人からの手助けが必要になった時の人間関係は、それまでの来し方の通信簿的側面があると同時に、人間関係は双方向性である以上、介護する側の家族もその人格的な度量が試される事になるのであろう。》
【20歳】
 一日の大半を寝て過ごすようになってしまった。三度の食事も、飲み込みが悪く気道に入るのが怖くて少量しか食べられない。
 ナ行、ダ行がはっきりしない。カ、サ、タ、ハ行も言い難い。いえる言葉がいくつ残っているだろう。
《導尿、胃ろう、気管切開になり、最終的に意思表示が出来なくなっていく》


 一方ある日、突然、脳出血により「閉じ込め症候群」になった、43歳のフランス人、ジャン=ドミニック・ボービーという人が(20万回以上もの)瞬きをアルファベットに置き換えてもらうことで著した「潜水服は蝶の夢を見る」という書物がある。
 「古ぼけたカーテンの向こうから、乳色に輝く朝がやってくる。踵が痛い、と僕は思う。頭も痛い。鉄の塊がのっているようだ。体じゅう、重たい潜水服を一式、着込んでしまったようなのだ。」
 「頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺。けれど、意識や知能はまったく元のままだ。自分という人間の内側に閉じ込められてしまったようなものだった。そうして、ただ一ヵ所、かろうじて動かせる左の目で、瞬きをすることだけが、ことばの代わりに残された唯一の方法となった。」
 「例えばある日、僕は自分を、笑ってしまいそうになる。44歳にもなって、赤ん坊のように、体を洗われ、うつ伏せにされ、拭かれ、服にくるまれるとは。まるで退行現象だなと、おかしくてたまらない。ところがあくる日は、おなじことが、全て悲壮の極みとして迫ってくる。そうして、介護士が頬いっぱいに塗ってくれたシェービングクリームの中に、涙が流れ落ちて行く。」
 尊大で横柄な医師のお決まりの質問「二重に見えますか?」に対して、ボービーは心の中で、『はい、バカが二人見えます。』と切り返す。
 《過酷な現実の中で、ただ、暗闇の中に落下して行かないためには、シニカルさも必要なのだろう。崖から転落しないようしがみつく際に爪を立てるように。》

 不治の病など神経難病に限らずのっぴきのならない現実を背負い、その現実と真摯に向き合い自分自身が置かれている状況を、必死に明(諦)らめて生きて行こうとしている人と、仕事上関わることになる私はその人の内面世界にどのように映し出されるのだろうか。必死さに比例したその人が放つ透過力のある光源によってあたかもX線に照射され体内を裸にされてしまうのと同じように、自分自身の内面性がすべてあらわにされてしまうような怖さを感じる時がある。

           ケアプランふくしあ   木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:36コメント(0)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2020年10月07日

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 暑さが終わり、肌寒く感じる日が多くなってまいりましたが、皆様体調変わる事なく過ごせておりますでしょうか?

 さて、本日は“バーコードの日“だそうです。普段身近にあって気にした事もなかったバーコード。いい機会だったので少しバーコードについて調べてみました。
 そもそもバーコードは1952年の今日にアメリカで特許を得た所から始まったそうです。しかし、バーコードが実用化されるのはもっと先でした。約20年の時を経て、1973年にアメリカでバーコードが制定され、日本が追う形で1978年に制定されました。しかし、メーカー側の負担が大きく普及には至らなかったそうです。日本で普及したのは1984年にセブンイレブンが本格的に導入し、全ての納入業者にバーコードを使用することを求めたそうです。これをきっかけに商品にバーコードがついていくことになり、現在に至るそうです。大企業の影響力で一気に普及したわけですね。(だいぶ大まかに書いておりますが…)

 歴史に関しては、このくらいにしておいてバーコードが普及したことにより、生活がどのように変わったかを考えてみました。

 まず最初に思ったのはバーコードが無い時のレジ打ちです。商品についている金額を見て、手打ちする。金額がついていない店では商品の値段を覚える。それらをレジが混雑しないように素早く行う。中々大変そうですね。レジ打ち新人の負担がものすごい気がします。商品管理も大変です。そして消費税が導入されます。消費税導入時にバーコードがなかったら…恐ろしい。
 子供の頃に通っていた駄菓子屋さんの店主は全ての商品の値段を暗記してその場で暗算して金銭のやりとりをしていた事を思い出しました。そして消費税取られてなかったんだなぁ…

 バーコードがあることによって消費側だけでなくアルバイトや字が読めない外国人等、働く側の人たちにも、ものすごいメリットがあるわけですね。普段身近にあるものでもそれぞれに歴史があって、どんどん進化していってどんどん便利になっていっているんですね。

 今では国勢調査の紙にもバーコード(QRコード)がついています。サイトへのアクセスや連絡先交換にも使われています。今では当たり前ですが、学生の頃は相手のメールアドレスを聞いて手打ちしていました。1文字間違えていて送れなかった事も多々ありました。その後、赤外線通信やQRコードに変わっていきました。次はどんなシステムに変わりますかね?
 長くなってきましたのでこの辺で。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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 今月はケアプランふくしあが担当しています。
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 10:32コメント(0)
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2020年06月17日

いい話

 はじめまして。4月からケアプランふくしあでお世話になっております金子と申します。以後よろしくお願い致します。コロナによる自粛も少しずつ解除され外に出る機会が増えたり、車通りもだいぶ増えてきました。
マスクをしながらの外出は暑くface_07かなりこたえますが皆様は体調変わることなくお過ごしでしょうか?
さて、ここ最近での深イイ話をご紹介させていただきます。
担当ご利用者様宅に訪問に行った時の話。身の回りのこともゆっくり行いながらおひとりで暮らしている方です。訪問時は必ず門を開けておいてくれているのですがいつもは午後1番でお邪魔させていただいています。その日は受診だったため夕方お邪魔させていただいていたところドアをノックして入ってくる女性の方。「大丈夫?こんな時間に門が開いているし」と話しながら入ってこられました。
ご近所の方が門が開いていることを心配して様子をみに来てくださったのです。しかも以前担当させていた方の奥様でした。久しぶりにお会いしたことやご近所の方を心配して声掛けをしてくださっていることにすごくうれしく思いましたface_02
まだまだご近所力があることにとても感銘を受けました。この地域で介護支援をさせていただく中でご近所の方の見守り、声掛けは本当にありがたいものですきらきらきらきら今後もこういった支援の輪が広がることを願いつつ私自身もその輪の中にしっかり入っていけるようにご支援してまいります。

  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:29コメント(0)
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2020年06月10日

入梅

 はじめまして。4月からケアプランふくしあで働いております市川と申します。以後よろしくお願い致します。

 コロナに加えて気温の変動が大きくなりましたが、体調変わる事なく過ごせておりますでしょうか?

 さて、本日は入梅です。梅雨入りです。週間天気を見てみると関東も週末から雨予報が増えています。いい機会だったので少し梅雨について調べてみました。
そもそも入梅は江戸時代に梅雨入りの時期を知る事は農家が田植えの日を決める上に重要とのことで目安として決めた日だそうです。なので実際の梅雨入りとずれたりするんですね。今よりも昔の方が天候に色々な事が左右されていたこともあり、各国で紀元前の頃から天気を予想していたそうですが、数値による天気予報は1955年(日本は1959年)から始まったそうです。意外と最近なんですね。加えてその頃は気象庁以外は天気予報を発信してはいけなかったそうで、全てのメディアの天気予報は気象庁発表だったそうです。なので、どこをみても天気予報は同じだったそうです。そして平成5年に天気予報が自由化され、気象庁以外の天気予報が流れるようになったそうです。本当に最近ですね。全く記憶になくて今回改めて調べてみて驚きましたが…皆様ご存知でしたでしょうか…

 最初は梅雨について調べてみたのですが、そこから天気予報の歴史が入ってきました。インターネットってすごいですね。今では当たり前ですが、2000年代のインターネット、携帯電話の普及で朝の少しの時間でも天気予報を見れるようになったわけですから。

 これ以上調べると、どんどん長くなってしまいそうなのでこの辺にしておきます。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
                                             雨男の市川が担当しました。  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 09:40コメント(0)
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2020年06月03日

COVID-19(新型コロナウイルス)と経済

 密林の中でチンパンジーが札束を数えてニンマリとしている、イルカがコインを加えて海の中でショッピングしているという事はない。生物界の中で貨幣というシステムを操るのは人間だけということは、それはホモサピエンスという種が持つ固有の癖ということである。文化人類学者のレヴィ=ストロースは、「人間社会は交換から始まる」と言っている。養老孟司氏は交換が可能になる為には等価交換(=)、ある物とある物が「同じ」という意識作用が前提条件だと指摘している。しかし、自然界では本来A=Bという関係が成り立つ物など何もないというのが厳然たる事実である。リンゴ1個=100円 ボールペン1本=100円 ∴リンゴ=ボールペンというもともと比較対象する事すらできない物を「同じ」として流通させる事は本質的には幻想でしかない。
 貨幣が金本位制まではこの幻想性に一定の箍が嵌められていたが、変動為替相場制になり箍が外れ幻想性が病的に肥大したのが今の社会ではないのか。金融経済に於いてある会社の時価総額何兆円など、キャッシュレス社会の中で、電子デーダ上で利権のやり取りをしているだけではないのか。箍が外れた人間の癖によって構築された社会の足元をCOVID-19に掬われたというのが今の社会経済状況のような気がする。
 正直、60年以上生きて来て私は未だに貨幣というものがよく分からない。貨幣の事がよく分からず、かつ、いざとなれば尻を拭く事も出来ない紙切れになる可能性のある日本銀行が発券する諭吉の熱心な信者にもなれない私が貧乏であるという事はよく分かる。

 3年毎に行われる介護報酬改定の際に、必ず抑制圧力を主張してくる経団連は社会保障に対して、正真正銘お荷物だと思っているのだろう。COVID-19の問題で大企業が経営破綻の危機に陥った場合には、以前、金融機関に行ったように公的資金を資本に投入することも囁かれているようだが、要するに企業丸ごとの生活保護対策みたいなものだろう。ちょっとした条件の変化で人は救済(お荷物と思われる)される側に立たされるという事である。中井久夫氏が『看護のための精神医学』の中で「だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ」という謙虚さが、病人とともに生きる社会の人間の常識であると思う、と著している。病人を困窮(病人=困窮)に置き換えてもそのまま人としての振舞いの指針として成立すると思うが、上層の人々にはどうでもいい事なのかも知れない。このコロナ禍の中にあっても内閣は経済財政諮問会議を利用し全国の公立・公的病院の内424の病院を統廃合させ、最大で20万床のベッドを減らすよう厚生労働省に指示を出しているが、それを考え直す気は全く無い様である。

 エコノミクス(経済学)の語源であるギリシャ語の『オイコノミクス』とは、「共同体の在り方」を意味する言葉だそうです。漢語における「経済」とは、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略語だそうです。
 貧乏の「乏」は白川静によれば「仰向けの死体の形」という事である。社会的動物である人間にとって究極の貧乏は死を意味するのであろう。

 このコロナ禍が、人間の癖をいたずらに肥大化させる市場原理主義的な社会に大きなダメージを与え、期せずして互助互恵による人間の連帯性を尊重する経済社会へと、価値の機軸が変り、自然的・社会的・個人的人間として調和の取れた生き方ができる世界への転換点となるのであれば、それは、今の大人達にとっては受難かもしれないが、次世代にとっては福音になる可能性を秘めているのかも知れない。
 
 「人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままではない。自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、与えられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。」(カール・マルクス:「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)

 人間の癖を肥大化させてきた結果もたらされている気候変動や原発問題など、私たちは次世代に対して何を持ち越させようとしているのだろうか。そもそも自然は人間の癖を成立させるために存在している訳ではない。レヴィ=ストロースが言うように、世界は人間なしに始り、人間なしに終わっても何の不思議もない。今、人間の意図とは全く関係なしに有効な環境対策が世界中で行われている。

 パパラギ(白人)は一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。彼はいつでも、どうしたらあるものが自分に役立つか、そしてどうしたら自分の権利になるかと考える。それもたいてい、ただ一人だけのためであり、皆のためではない。
 パパラギはこうも言う。「このヤシはおれのものだ」なぜかというと、ヤシはそのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。ヤシは、決してだれのものでもない。ヤシは、大地から私たちに向かって差し伸べもうた神の手だ。神はたくさんの手を持っておられる。どの木も、どの花も、その草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である。私たちは手を握って喜ぶことは許されている。だがしかし、こう言ってはならない。「神の手は俺の手だ」しかしパパラギはそう言うのだ。
(パパラギより)

              ケアプランふくしあ  木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:22コメント(0)
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