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2020年10月14日
「閉じ込め症候群(locked-in syndrome)」
この仕事をしていると神経難病により徐々に動けなくなっていく方と関わる機会がある。その代表的な病気としてALSやパーキンソン病、多系統萎縮症(脊髄小脳変性症)などがある。これらの病気は真綿で首を締められるように段々とほぼ全身を動かす事が出来なくなり(閉じ込め症候群)、寝たきりとなって行く。
一方、脳幹の一部である橋と言われる部分(橋腹側部)が広範囲に障害(脳血管障害)されると、錐体路(神経の伝導路)と第5以下の脳神経の運動を司る伝導路が障害されるため垂直方向の眼球運動と瞬き以外の随意運動がすべて障害される。橋の背側にある感覚の経路と網様体は障害されない為、感覚は正常で、意識は清明である。救命されベッド上で意識が戻った時、ほぼ完璧な「閉じ込め症候群」になった自分を自覚する事になる。
このような回復の希望がない方の担当を依頼されたとき、正直、担当することを逡巡する時がある。
脊髄小脳変性症により25歳で夭逝された、木藤亜也の「1リットルの涙」からその経過を拾ってみる。
【16歳】
・たった3メートルの幅の廊下が渡れない。
【17歳】
・バ行、マ行の発音がしにくい。
《バ行もマ行も唇を閉じないと発音できない音なので、ストローで液体を吸うという動作もし辛くなっていたのかも知れない》
【18歳】
髪を切りました。だけどわたしは鏡を見ません。澄ましこんだ自分を見るのが嫌いなのです。また、いつも人に見せるような、あのニマーとした笑いや、ギュッと目をつむるとこなど、見られやしないからです。
《あのニマーとした笑いというのは、脳幹の障害からくる「強制笑い(意思や感情とは無関係)」のことだろう。》
頭の中に描く自分の姿は、健康だったころの普通の女の子しか浮かばない。姿見に写った自分は美しくなかった。背中が曲がって上半身が傾いている。
《病的な痩せ、筋緊張の亢進からくる関節の変形など病状の進行と共に容姿も変容して行く》
できなかったことが、厳しいリハビリでできるようになった、という事実が一つでも欲しい。
《慰めの言葉など何の役にも立たない魂の叫びに対して、支援者側は自分自身の無能性を前に、バカ面を下げて突っ立っている事しかできない。》
【19歳】
人の役に立ちたい→人に迷惑をかけないように自分のことだけでもやるようにしよう→人の世話にならんと生きていけない→人の重荷になって生きていく・・・・・・これが私の生い立ち!
お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、たつことができなくなりました。
死ねないから、しょうがないので息をして生きています。恐ろしい、言い方です。
《何かが出来る事、何かを成し遂げる事 (to do) によって、自分自身の存在理由が支えられていることは事実だろう。だが、それが出来なくなった時、人を支えてくれるのは、存在している事、生きている事 (to be) それだけで存在理由があるという視点で支えてくれる人間が周囲にいること、そういう人間関係が築けている事が必要なのだろう。人生の晩年に於いて人からの手助けが必要になった時の人間関係は、それまでの来し方の通信簿的側面があると同時に、人間関係は双方向性である以上、介護する側の家族もその人格的な度量が試される事になるのであろう。》
【20歳】
一日の大半を寝て過ごすようになってしまった。三度の食事も、飲み込みが悪く気道に入るのが怖くて少量しか食べられない。
ナ行、ダ行がはっきりしない。カ、サ、タ、ハ行も言い難い。いえる言葉がいくつ残っているだろう。
《導尿、胃ろう、気管切開になり、最終的に意思表示が出来なくなっていく》
一方ある日、突然、脳出血により「閉じ込め症候群」になった、43歳のフランス人、ジャン=ドミニック・ボービーという人が(20万回以上もの)瞬きをアルファベットに置き換えてもらうことで著した「潜水服は蝶の夢を見る」という書物がある。
「古ぼけたカーテンの向こうから、乳色に輝く朝がやってくる。踵が痛い、と僕は思う。頭も痛い。鉄の塊がのっているようだ。体じゅう、重たい潜水服を一式、着込んでしまったようなのだ。」
「頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺。けれど、意識や知能はまったく元のままだ。自分という人間の内側に閉じ込められてしまったようなものだった。そうして、ただ一ヵ所、かろうじて動かせる左の目で、瞬きをすることだけが、ことばの代わりに残された唯一の方法となった。」
「例えばある日、僕は自分を、笑ってしまいそうになる。44歳にもなって、赤ん坊のように、体を洗われ、うつ伏せにされ、拭かれ、服にくるまれるとは。まるで退行現象だなと、おかしくてたまらない。ところがあくる日は、おなじことが、全て悲壮の極みとして迫ってくる。そうして、介護士が頬いっぱいに塗ってくれたシェービングクリームの中に、涙が流れ落ちて行く。」
尊大で横柄な医師のお決まりの質問「二重に見えますか?」に対して、ボービーは心の中で、『はい、バカが二人見えます。』と切り返す。
《過酷な現実の中で、ただ、暗闇の中に落下して行かないためには、シニカルさも必要なのだろう。崖から転落しないようしがみつく際に爪を立てるように。》
不治の病など神経難病に限らずのっぴきのならない現実を背負い、その現実と真摯に向き合い自分自身が置かれている状況を、必死に明(諦)らめて生きて行こうとしている人と、仕事上関わることになる私はその人の内面世界にどのように映し出されるのだろうか。必死さに比例したその人が放つ透過力のある光源によってあたかもX線に照射され体内を裸にされてしまうのと同じように、自分自身の内面性がすべてあらわにされてしまうような怖さを感じる時がある。
ケアプランふくしあ 木藤
一方、脳幹の一部である橋と言われる部分(橋腹側部)が広範囲に障害(脳血管障害)されると、錐体路(神経の伝導路)と第5以下の脳神経の運動を司る伝導路が障害されるため垂直方向の眼球運動と瞬き以外の随意運動がすべて障害される。橋の背側にある感覚の経路と網様体は障害されない為、感覚は正常で、意識は清明である。救命されベッド上で意識が戻った時、ほぼ完璧な「閉じ込め症候群」になった自分を自覚する事になる。
このような回復の希望がない方の担当を依頼されたとき、正直、担当することを逡巡する時がある。
脊髄小脳変性症により25歳で夭逝された、木藤亜也の「1リットルの涙」からその経過を拾ってみる。
【16歳】
・たった3メートルの幅の廊下が渡れない。
【17歳】
・バ行、マ行の発音がしにくい。
《バ行もマ行も唇を閉じないと発音できない音なので、ストローで液体を吸うという動作もし辛くなっていたのかも知れない》
【18歳】
髪を切りました。だけどわたしは鏡を見ません。澄ましこんだ自分を見るのが嫌いなのです。また、いつも人に見せるような、あのニマーとした笑いや、ギュッと目をつむるとこなど、見られやしないからです。
《あのニマーとした笑いというのは、脳幹の障害からくる「強制笑い(意思や感情とは無関係)」のことだろう。》
頭の中に描く自分の姿は、健康だったころの普通の女の子しか浮かばない。姿見に写った自分は美しくなかった。背中が曲がって上半身が傾いている。
《病的な痩せ、筋緊張の亢進からくる関節の変形など病状の進行と共に容姿も変容して行く》
できなかったことが、厳しいリハビリでできるようになった、という事実が一つでも欲しい。
《慰めの言葉など何の役にも立たない魂の叫びに対して、支援者側は自分自身の無能性を前に、バカ面を下げて突っ立っている事しかできない。》
【19歳】
人の役に立ちたい→人に迷惑をかけないように自分のことだけでもやるようにしよう→人の世話にならんと生きていけない→人の重荷になって生きていく・・・・・・これが私の生い立ち!
お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、たつことができなくなりました。
死ねないから、しょうがないので息をして生きています。恐ろしい、言い方です。
《何かが出来る事、何かを成し遂げる事 (to do) によって、自分自身の存在理由が支えられていることは事実だろう。だが、それが出来なくなった時、人を支えてくれるのは、存在している事、生きている事 (to be) それだけで存在理由があるという視点で支えてくれる人間が周囲にいること、そういう人間関係が築けている事が必要なのだろう。人生の晩年に於いて人からの手助けが必要になった時の人間関係は、それまでの来し方の通信簿的側面があると同時に、人間関係は双方向性である以上、介護する側の家族もその人格的な度量が試される事になるのであろう。》
【20歳】
一日の大半を寝て過ごすようになってしまった。三度の食事も、飲み込みが悪く気道に入るのが怖くて少量しか食べられない。
ナ行、ダ行がはっきりしない。カ、サ、タ、ハ行も言い難い。いえる言葉がいくつ残っているだろう。
《導尿、胃ろう、気管切開になり、最終的に意思表示が出来なくなっていく》
一方ある日、突然、脳出血により「閉じ込め症候群」になった、43歳のフランス人、ジャン=ドミニック・ボービーという人が(20万回以上もの)瞬きをアルファベットに置き換えてもらうことで著した「潜水服は蝶の夢を見る」という書物がある。
「古ぼけたカーテンの向こうから、乳色に輝く朝がやってくる。踵が痛い、と僕は思う。頭も痛い。鉄の塊がのっているようだ。体じゅう、重たい潜水服を一式、着込んでしまったようなのだ。」
「頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺。けれど、意識や知能はまったく元のままだ。自分という人間の内側に閉じ込められてしまったようなものだった。そうして、ただ一ヵ所、かろうじて動かせる左の目で、瞬きをすることだけが、ことばの代わりに残された唯一の方法となった。」
「例えばある日、僕は自分を、笑ってしまいそうになる。44歳にもなって、赤ん坊のように、体を洗われ、うつ伏せにされ、拭かれ、服にくるまれるとは。まるで退行現象だなと、おかしくてたまらない。ところがあくる日は、おなじことが、全て悲壮の極みとして迫ってくる。そうして、介護士が頬いっぱいに塗ってくれたシェービングクリームの中に、涙が流れ落ちて行く。」
尊大で横柄な医師のお決まりの質問「二重に見えますか?」に対して、ボービーは心の中で、『はい、バカが二人見えます。』と切り返す。
《過酷な現実の中で、ただ、暗闇の中に落下して行かないためには、シニカルさも必要なのだろう。崖から転落しないようしがみつく際に爪を立てるように。》
不治の病など神経難病に限らずのっぴきのならない現実を背負い、その現実と真摯に向き合い自分自身が置かれている状況を、必死に明(諦)らめて生きて行こうとしている人と、仕事上関わることになる私はその人の内面世界にどのように映し出されるのだろうか。必死さに比例したその人が放つ透過力のある光源によってあたかもX線に照射され体内を裸にされてしまうのと同じように、自分自身の内面性がすべてあらわにされてしまうような怖さを感じる時がある。
ケアプランふくしあ 木藤
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