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2020年06月03日

COVID-19(新型コロナウイルス)と経済

 密林の中でチンパンジーが札束を数えてニンマリとしている、イルカがコインを加えて海の中でショッピングしているという事はない。生物界の中で貨幣というシステムを操るのは人間だけということは、それはホモサピエンスという種が持つ固有の癖ということである。文化人類学者のレヴィ=ストロースは、「人間社会は交換から始まる」と言っている。養老孟司氏は交換が可能になる為には等価交換(=)、ある物とある物が「同じ」という意識作用が前提条件だと指摘している。しかし、自然界では本来A=Bという関係が成り立つ物など何もないというのが厳然たる事実である。リンゴ1個=100円 ボールペン1本=100円 ∴リンゴ=ボールペンというもともと比較対象する事すらできない物を「同じ」として流通させる事は本質的には幻想でしかない。
 貨幣が金本位制まではこの幻想性に一定の箍が嵌められていたが、変動為替相場制になり箍が外れ幻想性が病的に肥大したのが今の社会ではないのか。金融経済に於いてある会社の時価総額何兆円など、キャッシュレス社会の中で、電子デーダ上で利権のやり取りをしているだけではないのか。箍が外れた人間の癖によって構築された社会の足元をCOVID-19に掬われたというのが今の社会経済状況のような気がする。
 正直、60年以上生きて来て私は未だに貨幣というものがよく分からない。貨幣の事がよく分からず、かつ、いざとなれば尻を拭く事も出来ない紙切れになる可能性のある日本銀行が発券する諭吉の熱心な信者にもなれない私が貧乏であるという事はよく分かる。

 3年毎に行われる介護報酬改定の際に、必ず抑制圧力を主張してくる経団連は社会保障に対して、正真正銘お荷物だと思っているのだろう。COVID-19の問題で大企業が経営破綻の危機に陥った場合には、以前、金融機関に行ったように公的資金を資本に投入することも囁かれているようだが、要するに企業丸ごとの生活保護対策みたいなものだろう。ちょっとした条件の変化で人は救済(お荷物と思われる)される側に立たされるという事である。中井久夫氏が『看護のための精神医学』の中で「だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ」という謙虚さが、病人とともに生きる社会の人間の常識であると思う、と著している。病人を困窮(病人=困窮)に置き換えてもそのまま人としての振舞いの指針として成立すると思うが、上層の人々にはどうでもいい事なのかも知れない。このコロナ禍の中にあっても内閣は経済財政諮問会議を利用し全国の公立・公的病院の内424の病院を統廃合させ、最大で20万床のベッドを減らすよう厚生労働省に指示を出しているが、それを考え直す気は全く無い様である。

 エコノミクス(経済学)の語源であるギリシャ語の『オイコノミクス』とは、「共同体の在り方」を意味する言葉だそうです。漢語における「経済」とは、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略語だそうです。
 貧乏の「乏」は白川静によれば「仰向けの死体の形」という事である。社会的動物である人間にとって究極の貧乏は死を意味するのであろう。

 このコロナ禍が、人間の癖をいたずらに肥大化させる市場原理主義的な社会に大きなダメージを与え、期せずして互助互恵による人間の連帯性を尊重する経済社会へと、価値の機軸が変り、自然的・社会的・個人的人間として調和の取れた生き方ができる世界への転換点となるのであれば、それは、今の大人達にとっては受難かもしれないが、次世代にとっては福音になる可能性を秘めているのかも知れない。
 
 「人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままではない。自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、与えられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。」(カール・マルクス:「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)

 人間の癖を肥大化させてきた結果もたらされている気候変動や原発問題など、私たちは次世代に対して何を持ち越させようとしているのだろうか。そもそも自然は人間の癖を成立させるために存在している訳ではない。レヴィ=ストロースが言うように、世界は人間なしに始り、人間なしに終わっても何の不思議もない。今、人間の意図とは全く関係なしに有効な環境対策が世界中で行われている。

 パパラギ(白人)は一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。彼はいつでも、どうしたらあるものが自分に役立つか、そしてどうしたら自分の権利になるかと考える。それもたいてい、ただ一人だけのためであり、皆のためではない。
 パパラギはこうも言う。「このヤシはおれのものだ」なぜかというと、ヤシはそのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。ヤシは、決してだれのものでもない。ヤシは、大地から私たちに向かって差し伸べもうた神の手だ。神はたくさんの手を持っておられる。どの木も、どの花も、その草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である。私たちは手を握って喜ぶことは許されている。だがしかし、こう言ってはならない。「神の手は俺の手だ」しかしパパラギはそう言うのだ。
(パパラギより)

              ケアプランふくしあ  木藤


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