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2020年02月04日
環境問題
グレタ・トゥンベリさんの環境活動や近年の気候変動などを環境問題がクローズアップされている。
水洗トイレや蛇口を捻ればお湯が出るという事が当たり前ではないと言われて、そう言われればそうかも知れないと体験的に振り返る事が出来るのは昭和30年代生まれまでだと思う。
このブログをアップするのにも閲覧するにもエネルギーコストが掛かっている。企業から殆ど閲覧されることなく、ただ削除されるだけの莫大なメールがユーザーに送信されている。送信にも削除にもエネルギーコストが掛かっている。(ビットコイン、イーサリアム、ライトコイン、モネロの主要な4種類の仮想通貨のマイニングだけでキューバの使用電力と同じ程度になっていると推計されており、電力消費の限界で仮想通貨は破綻するという予想もあります。:月尾嘉男氏)
日本では、年間2,759万トンの食品廃棄物等が出されている。このうち、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は643万トン。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成29年で年間約380万トン)の1.7倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶腕約1杯分(約139g)の食べもの"が毎日捨てられているそうです(農林水産省及び環境省「平成28年度推計」)。食料自給率はカロリーベースでは37%で後の63%は輸入という事である。実質的には何も生みだす事のない食料生産、物流、廃棄にエネルギーだけを消費し経済成長したと喜んでいるのである。昔の常識人であれば、罰当たりと言ったであろう。
物質循環という視点から今の経済活動が抱えている本質的問題を指摘したのは、養老孟司氏(バカの壁)だと思う。樽に入っている酒を八ちゃんと熊ちゃんが互いに酌み交わしながら酒を売買している構図(花見酒)が今の経済活動だと。酒を石油に置き換えたのが現代社会である。この問題を経済の専門家であるアナリスト達が全く指摘しないのは何故なのだろうか?
私たちは炭素循環だけでなく大気中の窒素ガスと水素ガスを反応させてアンモニアを合成させる「ハーバー・ボッシュ法」の開発により窒素循環も大きく変えている。大河内直彦氏によれば、「人類は大量のエネルギーをアンモニア合成につぎ込んでいる。その量は1年間になんと5000兆キロジュールにも達する。これは大型の原発150基分にも相当する莫大な量」という事だそうです。このアンモニアをもとに硫安などの窒素肥料が作られ食料生産が飛躍的に伸び、人口爆発につながっている。化学肥料などがなかった頃の農家が窒素を土に還元するためにどれくらい苦労していたか。昔、水田でレンゲを栽培していたのもマメ科植物と共生する根粒菌による窒素固定を利用したものである。先人の知恵である。
月尾嘉男氏よれば、「人類の歴史を500万年とすると、その99%の期間は狩猟採集生活で、1人の人間が1日に消費するエネルギーは2500キロカロリー程度でした。1万年前くらいに農業を手中にすると、耕作に牛馬を使ったり、灌漑に風車を使ったりするようになり、消費エネルギーは1万キロカロリー程度に増加しましたが、それでも使用するエネルギーはすべて自然エネルギーでした。19世紀になって蒸気機関やガソリンエンジンを発明し、工業社会が到来しますが、石炭や石油など化石燃料を利用するようになり、そのため使用するエネルギーは7万5000キロカロリーになり、現在では25万キロカロリーを消費して便利な生活をしています。500万年という人類の歴史の最後の0・005%という一瞬のような時間に1人あたり100倍のエネルギーを使って生活しているというのが現代社会です。」要するにエネルギー漬けになっているということである。
産業革命頃の人口が15億人前後ということは、循環型農業で養える人口が15億人前後ということなのであろう。環境問題の根本的解決とは人口を減らす事と、一人当たりのエネルギー使用量を減らす以外に方法はないのである。気候変動が人間の活動によるものかそれとも自然現象によるものかクリアカットな因果関係はまだ不明なのかもしれないが、マイクロプラスチックによる海洋汚染やネオニコチノイド系農薬による昆虫の激減は明らかに人間の責任であろう。現代の環境問題は人間中心主義(ヒューマニズム)が招いた成れの果てなのかも知れない。人間が理解できる範囲内の論理性や合理性といったものが、更に大きな系の中では不合理でしかないということは十分にあり得ることだろう。人間の都合だけで物質循環をいたずらに肥大化させることを止められるかどうかは、今まで築き上げて来た物を手放す事が出来るかどうか、その学び直し(unlearn)が本気で出来るどうかであろう。「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」などといった甘ったるい情緒論で解決できるようなものではない。
ネイティブ・インディアンのホピ族には、物事を選択する時には、7代先の子供たちの事を考えて決めなければならないとい教えがあるそうです。
実話なのか寓話なのか分かりませんが、白人がネイティブ・インディアンに対して、地面に小さな円を描き、これがお前たちが知っている世界だといい、その後その円を包むように大きな円を描きこれが俺達白人の知っている世界だ、だからお前たちは俺達に言う事を聞いていればそれでいいんだと。そうしたら、ネイティブ・インディアンがさらに大きな円を描き、これは白人もインディアンも知らない世界だと。
今、海水温の上昇により海底のメタンハイドレートが融解しメタンガスが大気中に放出されてしまうのではないかということを一部の気象学者が後戻りすることが出来なくなる臨界点として危惧しているそうです。
ケアプランふくしあ 木藤
水洗トイレや蛇口を捻ればお湯が出るという事が当たり前ではないと言われて、そう言われればそうかも知れないと体験的に振り返る事が出来るのは昭和30年代生まれまでだと思う。
このブログをアップするのにも閲覧するにもエネルギーコストが掛かっている。企業から殆ど閲覧されることなく、ただ削除されるだけの莫大なメールがユーザーに送信されている。送信にも削除にもエネルギーコストが掛かっている。(ビットコイン、イーサリアム、ライトコイン、モネロの主要な4種類の仮想通貨のマイニングだけでキューバの使用電力と同じ程度になっていると推計されており、電力消費の限界で仮想通貨は破綻するという予想もあります。:月尾嘉男氏)
日本では、年間2,759万トンの食品廃棄物等が出されている。このうち、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は643万トン。これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成29年で年間約380万トン)の1.7倍に相当します。また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶腕約1杯分(約139g)の食べもの"が毎日捨てられているそうです(農林水産省及び環境省「平成28年度推計」)。食料自給率はカロリーベースでは37%で後の63%は輸入という事である。実質的には何も生みだす事のない食料生産、物流、廃棄にエネルギーだけを消費し経済成長したと喜んでいるのである。昔の常識人であれば、罰当たりと言ったであろう。
物質循環という視点から今の経済活動が抱えている本質的問題を指摘したのは、養老孟司氏(バカの壁)だと思う。樽に入っている酒を八ちゃんと熊ちゃんが互いに酌み交わしながら酒を売買している構図(花見酒)が今の経済活動だと。酒を石油に置き換えたのが現代社会である。この問題を経済の専門家であるアナリスト達が全く指摘しないのは何故なのだろうか?
私たちは炭素循環だけでなく大気中の窒素ガスと水素ガスを反応させてアンモニアを合成させる「ハーバー・ボッシュ法」の開発により窒素循環も大きく変えている。大河内直彦氏によれば、「人類は大量のエネルギーをアンモニア合成につぎ込んでいる。その量は1年間になんと5000兆キロジュールにも達する。これは大型の原発150基分にも相当する莫大な量」という事だそうです。このアンモニアをもとに硫安などの窒素肥料が作られ食料生産が飛躍的に伸び、人口爆発につながっている。化学肥料などがなかった頃の農家が窒素を土に還元するためにどれくらい苦労していたか。昔、水田でレンゲを栽培していたのもマメ科植物と共生する根粒菌による窒素固定を利用したものである。先人の知恵である。
月尾嘉男氏よれば、「人類の歴史を500万年とすると、その99%の期間は狩猟採集生活で、1人の人間が1日に消費するエネルギーは2500キロカロリー程度でした。1万年前くらいに農業を手中にすると、耕作に牛馬を使ったり、灌漑に風車を使ったりするようになり、消費エネルギーは1万キロカロリー程度に増加しましたが、それでも使用するエネルギーはすべて自然エネルギーでした。19世紀になって蒸気機関やガソリンエンジンを発明し、工業社会が到来しますが、石炭や石油など化石燃料を利用するようになり、そのため使用するエネルギーは7万5000キロカロリーになり、現在では25万キロカロリーを消費して便利な生活をしています。500万年という人類の歴史の最後の0・005%という一瞬のような時間に1人あたり100倍のエネルギーを使って生活しているというのが現代社会です。」要するにエネルギー漬けになっているということである。
産業革命頃の人口が15億人前後ということは、循環型農業で養える人口が15億人前後ということなのであろう。環境問題の根本的解決とは人口を減らす事と、一人当たりのエネルギー使用量を減らす以外に方法はないのである。気候変動が人間の活動によるものかそれとも自然現象によるものかクリアカットな因果関係はまだ不明なのかもしれないが、マイクロプラスチックによる海洋汚染やネオニコチノイド系農薬による昆虫の激減は明らかに人間の責任であろう。現代の環境問題は人間中心主義(ヒューマニズム)が招いた成れの果てなのかも知れない。人間が理解できる範囲内の論理性や合理性といったものが、更に大きな系の中では不合理でしかないということは十分にあり得ることだろう。人間の都合だけで物質循環をいたずらに肥大化させることを止められるかどうかは、今まで築き上げて来た物を手放す事が出来るかどうか、その学び直し(unlearn)が本気で出来るどうかであろう。「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」などといった甘ったるい情緒論で解決できるようなものではない。
ネイティブ・インディアンのホピ族には、物事を選択する時には、7代先の子供たちの事を考えて決めなければならないとい教えがあるそうです。
実話なのか寓話なのか分かりませんが、白人がネイティブ・インディアンに対して、地面に小さな円を描き、これがお前たちが知っている世界だといい、その後その円を包むように大きな円を描きこれが俺達白人の知っている世界だ、だからお前たちは俺達に言う事を聞いていればそれでいいんだと。そうしたら、ネイティブ・インディアンがさらに大きな円を描き、これは白人もインディアンも知らない世界だと。
今、海水温の上昇により海底のメタンハイドレートが融解しメタンガスが大気中に放出されてしまうのではないかということを一部の気象学者が後戻りすることが出来なくなる臨界点として危惧しているそうです。
ケアプランふくしあ 木藤
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