2017年05月11日

0と1

『ほんとうの供養』
 世の中には、働きたいと思っても働けない人がいる。身体や精神の障害があるために、なかなか働けないのである。私がお会いする方たちのなかにはそんな人がおられる。病院に入院しているが、病院内での軽作業くらいならできる、という程度の方が、次のようなことを言われた。
 自分は最近、母を亡くしたが、自分は今は何の収入もないので、母のために何かするということはできない。しかし、院内の作業で、入院中の老人たちのためにおむつをたたんで整理する仕事をしているとき、そのおむつのひとつひとつを扱うのが、母への供養と思ってやっている、というのである。
 この話を聞いて、この方の母を思う気持ちの深さに心を打たれたが、それに加えて思ったことは、その病院内で、おそらく「寝たきり」などと言われている老人の方々が、この人の母への供養に貢献しておられる、ということである。何もせず寝ていて、おむつをかえてもらっているだけと思う人もあろう。 しかし、私には、そのような老人の一人一人のたましいが、母を失った人の心を慰め、その供養に日夜参加している、というイメージがみえてくるのである。
 毎日働けることはありがたいことだ。それによって、われわれはお金や物や多くのものを得ている。しかし、誰かの供養のためにほんとうに参加するなどということをしているだろうか。
河合隼雄 平成3年読売新聞夕刊コラムより

『抱く』
生まれたばかりの道人を 両腕に抱いて正座する
道人という 人間の名前をつけられてはいるけれども
腕の内にあるものは
深く静けく 深くやさしい ひとつの振動である
神の現前である
人の名で呼ぶには いかにも惜しい
人の声で呼ぶには いかにも惜しい
生まれたばかりの赤ちゃんを 両腕に抱いて正座する
山尾 三省 詩集「びろう葉帽子の下で」より

 「命がやっていることは『伸びて縮んで』それだけである。」これはスリランカの僧侶アルボムッレ・スマナサーラのコトバである。卓見だと思う。人生複雑に思うけれど原理はいたって単純である。「伸びて縮んで」「0と1」「offとon」の多重構造である。私たちは外界や体内からの色々な刺激(X)を求心路を介して入力し、それを脳で情報処理し信号(Y)として遠心路を介して効果器(筋肉)に出力している。この「0と1」の信号が骨格筋に伝達されなくなったものがALSである。まさに骨格筋の伸び縮みが出来なくなったそれだけの事である。しかし、それがどれほど大変なことか。
 人間この世に産まれて来て生きる為にまず産声を上げる。自発呼吸である。「0と1」の現前である。だが、私たちは剥き出しの命のままでは生きていけない。成長と共に社会の中で生きていく上でいろいろなペルソナを身につけ社会的活動を行っていく。やがて老い社会の一線から退き私たちはいろいろなペルソナを失(剥奪・解放)い、最後は衰弱し下顎呼吸を呈し剥き出しの命となり、やがて「伸びて縮んで」が出来なくなりこの世を去っていく。

 人間どんなに威張ってみたところでも、あるいはどんなに卑下してみたところでも、やっていることは、「伸びて縮んで、伸びて縮んで」「0と1、offとon」それだけである。 

 鼓動・呼吸・蠕動・脳波などといった命の振動が奏でる基層低音を深く観取することが出来たならば、人は命の絶対的平等性という地平を闢くことができるのであろうか。ただ、現代という時代はこの命の振動が奏でる幽き基層低音に耳を澄ますにはあまりにも人工物に囲まれ自然から遊離してしまっている社会だと思う。命の振動への眼差しを醸成し難い社会に於いて、少子化が進行するのはパラレルな関係にあるように思えてならない。

ケアプランふくしあ 木藤


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