2017年05月04日

正さという病

 毎月、皆様のご自宅を訪問させて頂き面談など行う私たちケアマネジャーの仕事は、対人援助職などと言われ、基本的に介護上何らかの課題(問題)を抱えている方を対象として活動しています。
この仕事をしていれば、誰でも多かれ少なかれいわゆる困難事例(虐待・困窮・独居・認知症の老々介護等)と呼ばれるようなケースに遭遇します。色々な問題が次から次へと発生し、かつ、それに対して有効な対応が取れず、不全感だけが募ってくることがあります。
 精神科医の春日武彦医師は、援助者側が不全感を強く抱く時、それは援助者側が描いている「こうあるべきだという生活状況」にクライアント(利用者)を持って行こうとするコントロール願望が根底にありそれが強すぎるのではないかと指摘されています。言い換えれば権力欲かも知れません。
 厄介なことにこのコントロール願望は善意との親和性が高く、対人援助場面では混然一体となって作用している。善意の裏には「私は正しいことをしている」という妙なスケベ根性みたいなものと他人に認めてもらいたいという「承認欲求」が影のように張り付いている。善意が相手と噛み合っている内はいいが、いったんボタンの掛け違いのような状態に陥ると、援助者側は「私はあなたの為にこんなに頑張っているのに」、一方相手方は「余計なことをしていい迷惑だ」という状況が醸成されてしまう。最悪、憎悪だけが残る事になってしまう。場が影に支配されてしまったようなものである。この構図は親子関係にも当てはまる。親が子供に対して。あるいは子供が介護が必要になった親に対して。逃げ場のない家族介護が時に地獄と化す所以である。コントロール願望や善意といったものに付きまとう影は自覚し難く、人間関係に於いて非常に根深い問題であり、この問題から完全にフリーでいられる人間はいない。

 そもそも介護というものは、基本的には誰にでも訪れる自然現象としての老衰から今まで一人で出来ていた事が出来なくなり、誰かの援助が必要になったという事です。従って介護というものは、もともと解決すべき問題として向き合うべきものではなく、当人とその家族が取り組み続けなければならない人生上の課題として向き合うべきものと思っています。
 ケアマネジャーが出来ることは、当事者の方々が課題に向き合えるように支援する事だけで、問題を解決したり、取り除いたりするなどといった事は出来ません。そもそも人生上の問題はその人ものである以上、赤の他人がどうこうすることなど出来るはずもありません。善意という心根は人として非常に貴重なものであるが、一人の人間が善意で居続けることなど出来はしない。従って職業として、年単位で関係性を持つことになるであろう方に対して対人援助という活動を行っていく立場にある者としては、何とかしてあげたいなどという安易な善意で相手と向き合うことは決して誉められるような事ではなく、むしろ慎まなければいけない振る舞いなのだと思います。
 自分が担当しているケースというものは、ある意味自分自身を映し出す鏡のようなものでもある。不全感だけを強く感じていたり、或いは、妙な達成感を抱いている時、自分自身がコントロール願望や善意に伴う影に振り回されていないかどうか、対人援助職としては、常に内省する必要があると思う。善意の根底にある「私は正しいことをしている」という(潜在的)意識は、時に不健全な対人関係を形成させてしまう危険性に対する援助者側の感性を麻痺させてしまう。この対人援助に伴う病理に対する病識を欠いたえげつないケアマネジャーだけにはならないよう努力して行きたいと思っています。

ケアプランふくしあ 木藤


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