2016年12月13日

センテナリアン

 NHKスペシャルでも報道されていましたが、百歳以上で健康で元気に暮らす高齢者のことをセンテナリアンと言うそうです。ネットで語源を調べてみると一世紀のセンチュリーから百歳以上の人という意味でセンテナリアンという言葉が新しく作られたそうです。そして、カリフォルニアあたりのリッチで先進的な成功者たちの中には、働き盛りで、まだまだ若いとさえいえるような年代から既にセンテナリアンを意識して、禁煙禁酒はもちろん、ベジタリアンとなった上で毎日のエクセサイズを欠かさず体重と体脂肪をコントロールし、大量のサプリメントで栄養補給し、究極の健康を目指した生活を送っている人達がいるそうです。まるで総合事業のお手本のような方々です。

 私には到底まねする事は出来ません。まるで健康病に憑依され今を生きることを忘れた哀れな人達のように思えてなりません。それに比べ孔子曰く、『吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。』という老成していくというイメージの方がよほど健康的に思えるのだが。しかし、心の欲する所に従って、矩をこえないなどという境地が本当に可能なのかな、とも思う。
 女優、沢村貞子が『寄り添って老後』に次のように記している。『どうやら、人間という生きものの心の中には、生れつき、いろんな感情が互いに押しあいながら、ぎっしり、つまっているらしい。天使のように可愛い子供が、ときおり、まさかと思うような残酷なことをしたりするのも、そのせいではないだろうか。無邪気な優しさのまわりに、ねたみ、そねみ、わがまま、野心など、すました顔でうそぶいている。そしてその悪玉は、大人になっても消えるどころかだんだん大きくふくらんで来るというのだから―人間というのは、ほんとに始末におえない厄介な生きものだ、とこの頃、つくづく思う。』沢村の方が遥かにリアリティーがあると思う。

百歳まで作品を創作していた土屋文明の短歌を二首引いてみる。

『今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなはち転ぶ』
『老いてなほ気どりて来るは我のみか白髪頭にデニムのいで立ち』

 老いの境地とはどんなものなのであろうか。あるいは、どんな境涯を生きることになるのであろうか。今、日本では、女性の場合約50%、男性の場合約20%が90歳を超えて生きる時代である。そしてすでに6万人以上の方が100歳をこえている。人生、ふた山生きる覚悟がいる。

ケアプランふくしあ 木藤


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