2019年06月26日

おいーるショック

こんにちは!梅雨の合間の晴れの日です。こんな日は仕事も気持ちよくできますはれ
日々仕事をする中,心掛けていることは、時間を含めた約束
それなのに、あれ?今日は何日?なんて日常茶飯事。
タイトルにも付けましたが(引用)老いはいつの間にか・・・
1日1日を大切に過ごしたいですね。
さて

利用者様と話の中でも良く耳にする中の一つに「骨粗しょう症」があります。
骨粗しょう症とは、エストロゲンが減少した50才以降の女性に多い病気です。
エストロゲンが減少すると、骨の形成と吸収のバランスが崩れ、骨が弱くなります。
伴い、歯や、歯を支える骨も弱くなりますので、骨粗しょう症を患っている人は歯周病が重症化しやすくなると言われています。
また、骨粗しょう症のお薬(BP製剤)を服用していると、抜歯などの外科治療が難しくなります。

先日知り合いの方が、知らずに近くの歯医者へ行き、BP製剤を服用していたことで、
ここでは抜歯ができません。と大学病院を紹介され、松戸まで行くことにあせ
今は無事治療も終わったとの事ですが通院が大変だったと言われていました。



骨粗しょう症予防として食事療法があります。バランスの良い食事を規則的にとるのが基本ですが。
牛乳、小魚、干しエビ、小松菜、青梗菜、大豆製品などの他、
温州ミカンに多く含まれるβークリプトキサンチンが骨粗しょう症のリスクを軽減する効果があるそうです。

これから暑くなります。骨粗しょう症の予防の為だけではなく、暑い夏を乗り切るためにもバランスのいい食事
に心がけ、おいーるショック【老いるショック】も気にせずに頑張っていきましょうUPUP


  ケアプランふくしあ檜木でした






   


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 14:33コメント(2)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2019年06月19日

6月19日の記事

  紫陽花の花が美しい季節ですね。この写真は桜で有名な幸手の権現堂の紫陽花です。





「七変化」「八仙花」とも言われる花ですが、最近は白い紫陽花をよく目にするようになりましたね。

 さて、話しはガラリと変わりますが、以前読売新聞に80代のマラソンランナーの事が紹介されていました。
中野陽子さんと言う方で70歳になった時に「お金のかからない趣味を始めたい」とマラソンを始め、82歳になった現在もフルマラソンを4時間台で走り続け目標は2020年の東京オリンピックの聖火ランナーとして走ることだそうです。走ることを続ける理由は『とにかく楽しいから!」

私が50歳からランニングを始めたきっかけは不整脈で心臓にペースメーカを入れた友人がそれをきっかけにランニングを始めたことでした。医学的には良いことではないのではと思いますが、身体に制限がつけられた事で自分の体とじっくり向き合い、どこまでなら大丈夫か心拍数を測りながらウォーキング⇒筋トレ⇒山登り⇒ランニングと挑戦してそれを「楽しんでいる姿」に誘われ私も一緒に始めていました。
いつかフルマラソンをと夢見ておりましたがいつまでたっても10キロの壁は越えられず、タイムもちっとも上がらずどうすればよいのか悩んでいた時、中野さんの記事を目にしました。
そういえばいつの間にか走っている時は距離やタイムばかり気にして楽しむ気持ちを忘れていたと思いました。それからは距離やタイムは気にせずその日の体調に合わせ無理せず周りを楽しみながら走る様にしたら結局同じ距離をほぼ同じ時間でずっと楽に走れていました。

「楽しむ気持ち」は心ににゆとりを持たせ、身体の力がいい具合に抜けて、呼吸が楽になり体調を整えてくれるのでしょうか。

じめじめした梅雨時体調や気分がすぐれない時「ゆ~っくりと深い呼吸を繰り返す事はとても良いそうです。
是非やってみてください。

                 以上 ケアプランふくしあ 黒田でした


  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 10:56コメント(0)

2019年06月12日

ありがたい

 ありがたいの語源である「ありがた・し (有難し)」を岩波古語辞典で引いてみる。 
《有ることを欲しても、なかなか困難で実際には少ない、無いの意。稀なことを喜び尊ぶ気持ちから、今日の「ありがたい」という感謝の意に移る》
「有難う」「有難く頂戴します」などの語源である「ありがた・し」とは元々、在る事、存在する事それ自体がかけがえのない尊い事だという感謝の気持ちを表現する言葉である。

 小児科医でありかつ自身が小児麻痺である熊谷 晋一郎氏の記事がありました。紹介させて頂きます。
 「自立は、依存先を増やすこと、希望は、絶望を分かち合うこと」
“自立”とはどういうことでしょうか?
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しなけと生きていけないんですよ。
 東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。
 これが障碍の本質だと思うんです。つまり、“障碍者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障碍者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障碍者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存している事を忘れているわけです。

 何を持って生産性のある人間、生産性のない人間というのであろうか。自立支援とは生産性のある人間が、生産性のない人間を生産性のある人間に変革するということなのだろうか。恐らく、今の社会で言う自立している人間とは、都市化された社会の中で適切な振舞いが取れることと、経済生活が行えていること、この2点をクリアーしている人間のことを言うのであろう。それ以外は生産性に問題のある自立していない支援が必要な人間ということなのだろう。
 自己家畜化している都市生活者が一人サバンナに放り出されればなす術もなく死を待つだけだろう。都市生活者の自立とは、エネルギーの大量使用による幾重もの保護膜による守りとそれによって生じる環境負荷という外部不経済性を垂れ流すことによってやっと成り立っているだけである。元々、相互依存の中でしか人は生きられないという当たり前の事を忘れているのは、都市化された社会の中で自立していると錯覚している側の人間なのである。生産性で人を選別する発言をした国会議員と相模原障害者施設殺傷事件を起こした人間は傲慢性に於いて通底している。

 ホスピスに勤務されている沼野尚美氏が書かれた「癒されて旅立ちたい」という本の中で妊娠中に癌が判明した若い妊婦さんの事を記述されている所があります。略して紹介させて頂きます。

 Sさんは妊娠中に自分が癌にかかっていることを知りました。母親になれる喜びをかみしめながら、生まれてくる赤ちゃんのための準備を進めていたのです。とにかくすべてが初めての経験でしたので、体調が悪いのもつわりのせいと思い込んでいました。やがて、その症状は癌のためであることがわかり、彼女は大きな人生の選択をすることになりました。
 医師からは「今、赤ちゃんを堕ろせば、あなた自身の命が長く延びる可能性が高くなります」という説明を彼女は受けました。しかし、与えられた命を守ってやりたいといって、彼女は産むことを決心するのです。自分の体の中に、誕生と死の両方を抱えてまったく迷いがなかったと言えば嘘になるでしょう。しかし、彼女は現実を正しく理解した上で、自分にとってリスクの高い道、お腹の中の赤ちゃんの命を守る道を選びました。
 無事に元気な赤ちゃんを出産した後、末期癌患者となった彼女に後悔はないか聞いてみました。「後悔していない」と彼女ははっきりと答えました。ただ、育てていくことのできない悔しさと悲しみ、体力がないためにしっかりと抱きしめてあげられない子供への申し訳なさを、涙ながらに語りました。

「在る事」「存在する事」それ自体が有難く尊いのであ。その事を腹の底から了解できるような人間になれるよう努力して行く事が相互依存の中でしか生きていく事の出来ない人間の自立性なのでなないだろうか。上から目線で金科玉条のように「自立支援」を唱える自立していると錯覚している側の人々の無明に光が届きますように。

            ケアプランふくしあ   木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:14コメント(0)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2019年06月05日

性別

 チョークバスという魚は1日に20回もオスがメスに、メスがオスに性転換するそうです。その他にもその集団の中で優位に立つオスがいなくなると、No.2だったメスがオスに性転換する魚もいるそうです。

 以前、ダイオキシンやPCBといった内分泌撹乱物質(環境ホルモン)により、河川に生息する鯉のオスがメス化しているのではなかと言われていた事があったが、主原因は、当初疑われていたダイオキシンやPCBよりも、屎尿処理後の排水中に含まれる人の尿由来の女性ホルモンや避妊薬に含まれる合成女性ホルモンであることが判明している。
 性は状況によって案外揺らいでいる。

 私たちの性は性染色体が「XY」であれば「男」、「XX」であれば「女」という事になっている。性別が遺伝のみで決定するのであれば、性別の問題はもっとシンプルな現れ方をするのであろうが、性が遺伝とホルモンによる二重支配を受ける事と、人間の場合その時代が求める男らしさや女らしさといったジェンダーも絡まり、思いのほか面倒臭い。

 胎児の体は基本的に女性型であるが、「XY」を持った胎児は2ヶ月頃になると、Y染色体上にある遺伝子の働きで作られた精巣からテストステロンが大量に分泌され(アンドロゲンシャワー)、母胎内で「男性化」(精巣の陰嚢下降、陰茎の形成、脳の性差形成など)が進行し男児として産れてきます。

 妊娠を維持して行くのに必要な女性ホルモンの一種である黄体ホルモンにはアンドロゲン作用があります。凶悪な少年犯罪を起こした少年の中に、母親が流産を予防する為に合成黄体ホルモンを含んだ流産予防の注射を受けていため、胎児期に「超男性化」を起し過剰な攻撃性を持ってしまったのではないかと疑われるケースもあるそうです(現在の流産予防薬にはそのような副作用はありません)。
 女児も胎内にいる時から、母親の卵巣や副腎、また自らの副腎からの男性化ホルモンの影響を受けます。胎内環境の男性化ホルモン濃度が高いと、いわゆるおてんば娘になる。恐らくそれが強いと、体は女だが、心(脳の男性化)は男という状態が作られるのかもしれない。

 アンドロゲン(男性ホルモン)不応症といって細胞膜に先天的にアンドロゲンに対する受容体を欠損した新生児が10万人に1~5人くらいの割合で誕生するそうです。男性ホルモンに細胞が全く反応しないため、遺伝上は「XY」で男性であるが、母胎内で「男性化」することなく形は女児として産まれてくるため、当然、親も女児と思い女児として育て、そして本人も何の疑いもなく少女として児童期を過ごす事になる。しかし、歳頃になっても生理がないので診察したところ、実はアンドロゲン不応症が判明するという人がある一定の割合でいるということである。性の同一性とは何によって裏付けられるのであろうか。それまで生きて来た履歴によって形成されてきた内面的な性を単に生物学的な事実のみで決定できることなのか。ある国会議員の定義からすれば生産性のない性の持ち主という事になるのであろうか。
 国体維持や社会保障維持を意識して子供を産む親がいるのであろうか。子供を産まない人間が悪いという発言をする政治家は国体維持を意識して自分の子供を産んだのだろうか。それとも他人の子供だけに国体維持機能を押しつけているのだろうか。そもそも連綿と命が引き継がれてゆく新たな生命の誕生とは、本質的には人の理解(言語)の及ばない深遠な「事祝ぎ」であろう。それを生産性にしか結びつけて捉えられない国会議員がいて、そしてそれを擁護する国会議員が存在する。それを選んでいるのは国民である。現代社会に生きる人間が内包している病理の現れなのだろう。


             ケアプランふくしあ  木藤  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:19コメント(0)
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