2018年08月31日

山の日

 今日で8月も終わり。あまりにも厳しい暑さだったせいか1か月が長かったような気がします。
一昨年から制定された8月の祝日「山の日」にちなんでというわけではありませんが北アルプス・燕岳(2763m)へ登ってきました。

燕岳は美しい山容から北アルプスの女王と呼ばれていて1度は登ってみたいと思っていましたが登山歴浅く、高所があまり得意ではない私には刺激的な体験でした。ひたすら登りの5時間半は特に危険な個所はないものの、かなり暑くて滝のような汗をかきながら、高山病になることもなく無事登頂!山頂からの景色は想像以上の絶景。生きてて良かった・・はオーバーかな?
そして人気の山小屋で1泊。満員御礼の山小屋では1枚の布団に寝るのは2人。背中合わせは知らない男性で一睡も出来ず朝を迎えました。


山に沈む夕日、満天の星空、日の出と素晴らしい景色は感動的!きらきら



どちらが朝日でどちらが夕日でしょうか。

お日様パワーを頂き、いざ下山!
あとは下るだけと、甘く考えて勢いに任せて下山していたら半分を過ぎたあたりから膝⇒もも⇒腰と痛みに襲われ登山口に戻ってきたあたりからは前腿が悲鳴を上げ、後ろ向きに歩いていました。
ペース配分・休憩の取り方・山の歩き方勉強不足だったと反省。
もう2度と登らない!なんて考えながら下りていたのが、終わってみるとまた登りたい!に代わっていて、これが山の魅力ですね。
途中出会った83歳の女性は毎年登っているとの事。
小柄な体格に大きなリュックを背負い、しっかりした足取りで歩いていらっしゃいました。
余裕の笑顔にこれまでの人生を想像してしまいました。
私は一体いくつまで登れるのでしょう。

                                            ケアプランふくしあ 黒田でした。

  


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ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2018年08月21日

年をとるって悪くないかも?

日本は今約4人にひとりはお年寄りという、超高齢化社会。
「年をとるのはいやだ」 「お荷物になるのはいやだ」という声は耳にするものの、若者よりむしろ元気、
現役世代よりパワーのあるお年寄りは大勢いらっしゃいます。
悩みや愚痴はあるけれどそんなお年寄りのみなさんが言いたいことをもっと言える場所が作れればという事で
ある冊子が出ました。  
「シルバー川柳」という2011年に発行された中から読んでいて思わずうなずいてしまう作品をご紹介させて
頂きます。

「目には蚊を  耳には蝉を 飼っている」

「立ち上がり  用事忘れて また座る」

「名がでない  あれ これ それ で用を足す」

「深刻は 情報漏れより  尿の漏れ」

読んでいて思わずわかるわかると言いたくなるような作品がたくさん掲載されています。

生まれてきたからには必ず誰でも最後を迎える時が来ます。

山あり谷あり、楽しいことばかりではないデコボコ道だけれど、年を重ねることで見えてくる景色もあります。

力を抜いて気持ちよく、かっこよく、素敵に年を重ねていけたらと思います。


                  ケアプランふくしあ 
    大澤でした  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 16:35コメント(0)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2018年08月14日

神用語

 『おじいちゃん、おばあちゃんの言うことが、時に分からなくなる。
「ホレ、アノ、ナニをアレしてくれる。あのナニを……」などと言いうのは、まだいいほうで、脈絡のない話の内容がつかめなくて、どうなっているのかと思わされる。こんなときに、老人性痴呆とか、老人ぼけという言葉が最近では一般に知れわたりすぎて、「うちのおじいちゃんも、老人ぼけになった」などとすぐに断定してしまう。ゆっくり落ち着いて聞いていると、わかる話でも、「ぼけている」と決めこんでしまっていると、わからなくなってしまう。老人のほうにしても、聞く者の態度にいらだってしまうので、言葉がスムーズに出なくなってしまい、ますます悪循環がひどくなってくるのである。
 アイヌ(イヌイット)の人たちは、老人の言うことがだんだんとわかりにくくなると、老人が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために、一般の人間にはわからなくなるのだと考える、とのことである。老人が何か言ったとき、「あっ、ぼけはじめたな」と受けとめるのと、「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」と思うのとでは、老人に接する態度が随分と変わってくることであろう。
「神用語」という言葉を考えだしたアイヌ(イヌイット)の人たちの知恵の深さに、われわれも学ぶべきである。』
河合隼雄 平成3年読売新聞夕刊コラムより

 最近、新聞に、認知症にならない為のハウツー本に関する広告を目にしない日が無いくらいよく掲載されているような気が致します。また、『認知症高齢者は2012年で462万人(約7人に1人)2025年に700万人(約5人に1人)になると厚生労働省は推計しているようで政府の過去の推計を大幅に上回るペースで増加しているとのご見解で、こりゃあ大変だということで厚労省は認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を策定しています。これらの対応の根底には「認知症」=「困りごと」といった図式がドミナントストーリーとして社会に共有されているという事を示唆している様に思います。人が誕生し、成長してやがて色気づく。歳を取ると白髪、皺、シミが増える。ガタも出る。やがて死が訪れる。この一連の流れは、人間の意志や意識とは関係ない。勝手にそうなるだけである。いわばDNA(神)用語の発現である。人間の意識的活動の最たるものは、言語と貨幣(経済)である。教育とはこの意識的世界への取り込み(洗脳)である。認知症とはその世界からの離脱(或いは脱却)である。人間的意識中心の価値観(人道)からすれば、認知症というのは、「困りごと」なのかもしれないが、私が思うに「認知症」も生命現象(天道)の中の一つの様相なのではないかということである。認知症という様相に対して、社会がどのように向き合っていくのかという事は、その社会にとっては文化力が試されているという事ではないだろうか。

ケアプランふくしあ 木藤
  


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ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2018年08月07日

タナトスからエロスへ

 昭和62年に出版された「老人患者の心理と看護」という本を読んで、そこに記述されている老人像と今の老人像との違いに改めて時代変化の激しさを考えさせられました。約30年前の80歳代の中心は明治生まれです。この世代の人格形成に影響を与えたであろう基礎的教養は葉隠の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」や教育勅語の国家道徳としての「忠」そして個人的道徳としての「孝」、いわゆる「忠孝」が中心だったのではなかと思います。若い時は共同体の一員として国の為に働き、親が老いればその世話をするのは当たり前で、逆に当人が年を取り介護が必要にになった時には、嫁が介護するのが当然であって、社会的サービスを使わざるを得なくなった場合には、申し訳ないあるいは情けないという心情が根底にあったように思います。

この書籍の中で著者の母親(66歳:T10年前後の生まれ、存命であれば98歳位)の事が次にように紹介されていました。「明治生まれの義母に仕え、戦時下及び戦後の困窮期に育児をしてきた母は、常に短剣を肌身離さずもち、『死に対して恐怖はなかった。いつでも死ねるという確信があった』と私の母(66歳)は今、話しています。」武家の血筋を引く方なのかも知れないが、昭和60年代にこの様な死生観を持ち続けている人が居たという事に驚きを感じました。
三世代世帯の割合は昭和60年頃は46%、平成26年は13%位です。自分の親は子供が面倒を見るのが当然という意識は昭和一桁世代で終焉を迎えたように思います。

 江戸時代(特に人口が増加してきた中期)は、相当な間引きによる人口調整が行われていたらしい。昭和4~6年の大恐慌と大凶作の時代、東北農村では木の実やネズミなどで飢えをしのぎ、娘の身売りも全国で4万人を超えたと云う。もともと貧乏な国民なのである。歴史的な時間感覚で言えば昭和初期など昨日の出来事みたいなものである。江戸時代では、子供は5歳までは天からの預かりものという感覚があった。要は乳幼児死亡率が高かったので5歳前に亡くなる子供が多かったという事である。昭和であっても抗生剤がなかった戦前まで状況は同じようなものだったのだろう。想像するに戦前世代の多産な時代の親で自分の産んだ子供が一人も亡くならずに大人になったという親は少数派だったのではないだろうか。逆に戦後世代の親で自分の子供を亡くすという経験をしている親は圧倒的少数派であろう。昭和20年を境に親としての体験もそれだけ違うのである。

 自然災害の多い風土と相まって貧乏が当たり前だった戦前に育った日本人にとって死は身近であり、『死に対して恐怖はなかった。いつでも死ねるという確信があった』というように、文化としてタナトス的な傾向を持っていたように思えます。それが敗戦を機に、戦後民主主義とエネルギーの大量使用による消費万能社会のもと生を謳歌するというエロス一辺倒へ激変した。
 今の高齢者は言わばこの価値観の手のひら返しをされた世代である。T11年生まれの三浦綾子はそれまでは正しいと信じて教えていた教科書に、敗戦後は生徒に墨で塗りつぶすよう指導しなければならない事に強い慚愧を覚えキリスト教信者になった。S12年生まれの養老孟司氏は、教科書を墨で塗りつぶすよう指導された教育を、皮肉を込めこんな最高な教育はないだろと云う。昨日まで正しいと言われた事が今日からは正しくないという、要するに大人の都合など全くあてにならないという事を子供心に強く深く刻んだという事なのだろう。
 この手のひら返しを経験され社会構造(共同体から個へ)の変化の中を懸命に生きて来た現在の高齢者の心の底流には、私たちの気持ちは今の人には分かってはもらえないというような諦めの気持ちと孤独感があるように感じられることがあります。
 2025年からはいよいよ、戦後生まれのエロス一辺倒の申し子世代が80歳代を迎える事になります。若い時は学生運動や労働運動に、壮年期には高度経済成長とバブル経済と、比較的自由奔放に生きて来られた世代だが、親は大正生まれで親子間での価値観の捻じれを引きずってきた世代でもる。これから高齢期になって行く世代は、基本的には子供に世話になるよりも社会サービスを利用して行きたいという世代が年々増えて行くことになるのであろうが、その需要に応えられる社会的リソースがはたしてあるのかどうか? 
 S51年を境に病院死が在宅死を上回り、現在、自宅で亡くなるのは12%位である。大井玄氏が『人間の往生』の中で「医療技術による管理が進めば進むほど、死は家族から隠される傾向にある。死は、家族、そして社会一般から隔離され、抽象化され、結果としてほとんど神経症的に怖れられる現象となった」と指摘しているように、エロス一辺倒の価値観の中で「死」の抽象化が進んだが、「死」と「生」は言わば「地」と「図」のようなものである以上、「死」の抽象化が進むということは「生」の抽象化が進むということである。このようなパラドキシカルな時代に老人となって行く戦後生まれの第1世代高齢者はどのような老人像を後進に示されるのだろうか。

                             ケアプランふくしあ 木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 08:26コメント(0)
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