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2022年03月15日

人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)

 「人生会議」とは、アドバンス・ケア・ プランニング(Advance Care Planning)の愛称(?)だそうです。医師会ではACPを、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスであると定義されています。その人生会議を国が主導するというのは、その背後にこれから多死社会を迎える焦りのようなものがあるのだろうか。

モンテーニューがエッセーに老衰による死を次のように書いている。「老衰による死はまれかつ単独に起こる例外的な死である、他の死と比べるととても不自然なことだ。それは死に方の中でも最終的で極端なものだ」と。16世紀末のワクチンも細菌学も抗生物質もなかった時代では殆どの人が老衰前に亡くなっていたということなのだろう。
 皮肉なものである。医療が発達したおかげで多くの人が長生きするようになり、かつてイヴァン・イリイチが指摘したように社会保障に対する依存度の増大がそれに対する税金負担がどのような経済でも支えきれないほど増えたことに、社会全体が圧迫感を感じているのだろう。だから治療とはそもそも延命させる為に行っているのであって、短命にしようと思って行っている訳ではないのに、特に高齢者の終末期治療を延命治療と、敢えて”延命“という枕詞を添えるのはどこか“無駄な治療”という気持ちを多くの人が持っているという事なのだろう。本人、家族、治療者にとっても不幸な事だと思う。医療的な介入が本人にとってどのような意味があるのかを、医療的介入の適合期、拮抗期、過介入期などといったステージで表現していく工夫があってもいいような気がする。その方がACPを考える上で足掛かりになるのではないかと思う。

人はいずれ皆死ぬ。人は死に各々どのような態度で向き合っていくのであろうか。高村光太郎のように「死ねば死にきり 自然は水際たっている」という言い切りが出来るかと言えば、私の場合何か未練が残るし、かといってキリスト教的な永遠の生命などというのは鬱陶しいし、絶対苦の中で展開される輪廻転生というループから脱却するために、あらゆる執着を断ち切って行くという仏教的な境地を獲得することは到底出来ないし、困ったものである。私の個人的嗜好としては「人間は死ねば、精霊として天上で生き、その後再び男はハエ、アリ、女はダニ、ノミとなり虫として地上に戻りそして最後は消えて行く」というアマゾンの未開の地で暮らすヤノマミ族の死生観が好きである。現代人として自然界からありとあらゆるものを収奪し生き死んだ者として天上界で少し猶予を頂き、その後、シロアリとして地上に戻り生態系の下部構造としてセルロースをせっせと分解し土に還元し自然のお役に立って消えていくというのはなかなか据わりがいい。

谷川俊太郎氏が母親の介護について、対談の中で次のように語っている。「僕は、100%人間は行き続けるほうがいいのだとは、言いきれない気もするのです。90歳までいろいろな病気を克服して、しかも色々な人に介護してもらって生きているというのは、昔の考え方でいうと、神とか宿命とか言われるものを人工的に拒否している面があるように、僕には見えるのです。僕の母は4年7ヶ月ベッドの上で挿管されて、話も何もできない状態でした。感情を読み取っても全然頼りないし、そういうのを見ていると、死んで欲しいという気持もある。解決のつかない矛盾をずっと自分のなかで保っていくしかない、というのかな。そんな気がします。」

西行は、「ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」という自分の歌のとおりにその願いを遂げて死んだそうである。それは、当時の修行者たちは、命がそろそろ尽きそうになることを感じた段階で、緩やかに木食に入り、そして断食に入って自分の死期というものをある程度、調整していたという事である。

文化人類学者の原ひろ子氏が『ヘヤー・インディアンとその世界』という書物に、カナダの北方地方に住むヘヤー・インディアンの人たちがどのように死を受け止めるかが語られていて、「ヘヤー・インディアンは何のために生きているのだろうか。美しい死に顔で死ぬために生きているのだ」とある。ヘヤー・インディアンは各人が心のなかに「守護霊」をもっていて、何かにつけてその守護霊と「話しあい」をしている。年老いて病気になったとき、守護霊が「おまえは死ぬ」と言うとそれに従い、親族を集めて、思い出話などをし、絶食して死を待つのである。そして、守護霊に助けを求めて「よい顔で死ねるように」願うそうである。
現代を生きる私たちがこれをそのまま受け入れることはできないが、「よい顔で死ねるように」という切り口は、ターミナルに関わる周囲の者たちにとっても一つの希望になるのではないだろうか。「地」と「図」を反転させれば「よい顔で生ききれるように」と言ってもいいと思う。ただ、そのように望んだとしても病気によってはそのようなゆとりが持てないケースも多々ある事も事実だろう。

どのように死と向き合うのかというような重い意味を持つ外来語(ACP)を翻訳する時はできれば和語に変換する方が心情に響くと思う。
「よい顔で死ねるように」―お迎えに向けた身仕舞を語り合おう―如何せん和語は名詞化する力が弱いのでどうしても冗長的になってしまう。私の精一杯である。和語にこだわらなければ、アルフォンス・デーケンが提唱していた「死への準備教育」とか、大井玄氏が『人間の往生』の中で「医療技術による管理が進めば進むほど、死は家族から隠される傾向にある。死は、家族、そして社会一般から隔離され、抽象化され、結果としてほとんど神経症的に怖れられる現象となった」と指摘しているように、そのような社会的状況を打破するために「死に方の選択」のような直截的な翻訳でも良いような気もする。
 江戸から明治への移行期を生きた教養人の漢字に対する素養は現代人を遥かに凌駕していただろう。福沢諭吉や西周らであったならば、Advance Care Planningをどのように漢字に変換しであろうか。言語明瞭意味不明な「人生会議」にはならなかったような気がする。どなたか言語センスの高い人に「和語」に「漢語」に変換して頂けたらと思う。


            ケアプランふくしあ  木藤
  


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ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2021年10月21日

保育・介護に関わる産業を冷遇し続ける社会

現在、日本人の平均年齢は約47歳だそうです。いわゆる団塊ジュニア世代です。総務省の年代別の人口集計を参考に1972年産まれを100として比率を産出すると1980年で80%を、1986年で70%を、2001年で60%を、2014年に50%を下回っています。2019年は45.04%となっています。新型コロナウイルスの問題で少子化はさらに加速されていると思います。日本社会の問題は高齢化よりも少子化の方が重大問題でしょう。
 
1989年に出版された「河合隼雄全対話3 父性原理と母性原理」の中で鶴見俊輔と次のような対話をしている部分がある。
『鶴見 ― もうひとつこの本のテーマは老年ですね。
 老いて死んでいくとき、そばにいてくれるものとしては女性がいい。女性のほうが死にゆくものの看取りがよくできる。これは女性の光栄というか、たいへんなことですよね。男性社会でそれを悪く利用されて、寝たきり老人の九割は女性が世話している。しかも無償で。それに対して私たちは評価しなきゃいけない。経済的な裏付けをしなきゃいけない。
河合 ― 全くそうです。彼女がすごく評価していることが、実際は経済的に実に低く評価されている。アメリカという国では、男性的といわれる仕事のほうは経済的価値が高すぎる。死んでいく人のそばにいてくれる人にはものすごいお金を払っていいはずですよ。そうでしょ、元気なとき、ワッショイ、ワッショイって神輿かついでくれる人なんかには金はいらんですよ。静かに死ねるためにほんとにハタにおった女性なんてのはすごく価値があるんです。ところが経済的には低い。
 ここでひとつ言えるのは、そのような仕事は、以前は金で買えないものだからという考えもあったのじゃないか。金で買えない大事なことに、お金をあげるなって非常に失礼だという感じ方ですね。ところがいまのわれわれの社会の中では、経済的価値でものごとを見る。そういうふうに考えると、女性原理に基づく仕事に対する報酬という問題は非常に重要だと思いますね。そこで気の毒なのは、女性原理の仕事をしていれば非常に安定している女性が、ムリに男性原理の仕事をしてそれに向いていないというとき、ごく少ない金にしかならない。深く考えるべき問題があります。』

 日本が工業化していく過程で原発は経済成長の要だという意識が政府、経団連には強くあったはずである。エネルギー問題は国の存亡に直結するだけに、電力関連の産業を電源三法で手厚く保護し、そして一基の原発だけでも何千億というお金が動く原発事業には巨大な利権が絡み続けているのだろう。

福島原発について大沼安史は次のように言っている。東電の「廃炉に向けた『中長期』ロードマップ」によると、「フクイチ廃炉」は遅くとも2051年に完了することになっている。もちろん、これは「スーパーヒーロー」級の廃炉ロボットが現れるので技術的なブレークスルーがあっての話で、いまのところ「空想」に過ぎないが、かりのその時点で全てが終わるにせよ、投入される「人材」は1日5千人ペースが続くとして、延べ約6千万人に達する。フクイチの現場は、日本人はもちろん人類としても初めて経験する、人間の労働を際限なく吸い込み続ける巨大なブラックホールである。
 小熊英二氏によれば、『高速増殖炉「もんじゅ」は1日5千万円とも言われる費用を投じながら動かせていません。(1兆2千億円以上の費用を投じてきた「もんじゅ」は2018年3月に廃炉が確定。これから3,750億円を投じ30年かけて廃炉にするとの事だが技術的な目途は全く立っていない。— 技術的な目途が立っていないのに何故、費用が算定できるのだろうか?— )青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設は、1993年から建設を開始しましたが、当初予定の3倍近い2兆2千億円を費やしても技術的問題が解決せず、1日3億円とも言われる維持費をからながら本格運転できないでいます。』実質的に何も生み出さないどころか、負の遺産にしかならない物にこれだけのコストをかけ続けてもいわゆる原子力村を保護し続けているのである。そして、核燃リサイクルという虚構が破綻し行き場を失った放射性廃棄物を政府は地層処分しようとしています。

 私達の住む日本の地球上に占める陸地面積の比率は0.25%です。4つのプレートがひしめき合う地震の多発地帯です。また、世界の活火山(1548)の7%(108)が日本にあるそうです。これが私達の住む地球上0.25%の陸地の地質的条件です。このような条件において原子力発電所を推進していくこと自体大きな問題を孕んでいると思います。かつて、原発推進派は安全性において地震で原発にトラブルが発生することはないといっていました。いざ実際に被害が発生すると「想定外の地震」と言います。原発稼動にともなう放射性廃棄物について、半減期が二万年以上のプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物を、政府は「深地層処分」する方針で、原子力発電環境整備機構の自作自演的Q&Aによると「なぜ地上での管理ではなく地下に処分するの?」という質問に対して、答えを要約すれば「管理を続けなければ安全が保てないようなシステムであってはいけない」だから、安定した「深地層部」に高レベル廃棄物を埋めるということです。極めて官僚的な詭弁的論法です。この人達は何ら実質的責任を負いません。いざ問題が発生すれば、「想定外でした」以上、お仕舞、でしょう。先に書いたように数万年の時間スケールで日本に安定な地層がそもそもあるのでしょうか。

 工業化を推進してきた産業界は自分達が日本経済を牽引してきたと思っているのだろう。確かに山を築きて来たのだろう。だが、原発に象徴されるようエネルギーを大量に使用する産業は、せっせと深い谷を将来世代に注入して現在の山を成り立たせているだけではないのか。
 
 乳幼児期に情緒的安定性の高い大人に保育されることが、その子の将来にとってどれだけ大切なことか。保育とは誰にでもできる簡単な仕事なのだろうか。
 老いて人の手助けが必要になった時、人の痛みに対して深い洞察力のある人に介護されるのとそうでないとの違いが想像できるだろうか。フィジカル面に於いても、メンタル面に於いても高い見識を持ち、かつ、人の痛みに対して深い洞察力のある介護士であったならば、年収が1500万円以上であってもおかしくはないと思う。

  岸田首相は保育・介護従事者の処遇を改善すると言っているが、所詮、選挙前のリップサービスでしょう。日本社会の価値選択の総和としての統治体質に於いて少子化が進むのは必然のように思う。早晩、出生数が80万人(40%未満)を下回るだろう。



ケアプランふくしあ   木藤
  


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ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2021年08月13日

大人の能力(努力の方向性)

 ケアマネジャーという資格は更新制ということもあり比較的研修の多い職種です。国が目指す地域包括ケアシステムが上手く機能していないのは個々のケアマネジャーの能力が低いからだとの事で、その底上げをする必要があると考えているようです。しかし、いい歳になった私は研修をすれば能力が向上するという考えを今一つ信用することが出来ない。

 能力というものを三角形的にイメージし、底辺を資質、努力を垂直方向へのベクトルとして、それを面積として考えた場合、仮に資質10の者が2努力した場合、能力は10である。資質1の者が20努力した場合、能力は10である。だが、努力すれば報われるというのは限られた範囲の中での話で現実はそれ程甘くはない。底辺が大きくなければ、いくら努力を積み上げても高さも形成されない。身体動作を伴うスポーツを考えれば明白である。日本人の場合どんなに努力しても100mを9秒台で走れた人間は4人(そのうち一人はハーフ)だけである。資質の無い者がどんなに努力しても能力が高まることはない。それどころかスポーツマンやピヤニストなど資質のある者が努力のし過ぎでイップスやジストニアを発症し、資質が台無しになってしまう事もあるのである。

 幼児が母語を習得していく過程で努力感はあまりないと思う。何かの能力を習得していく過程で努力感が募ってくるのは恐らく、資質上の限界点が見えて来ているという事だろう。真正の能力向上は努力感が苦にならない(充実感に満ちている)時に形成されるもののように思う。多くの日本人が中高生という生物学的には成長期にある時期に英語を学習しても実用レベルまで習得することができないのは、言語習得という資質に関しては10代半ばで既に減衰してしまっているという事だろう。

 垂直方向での能力の向上は生物学的成長がほぼ完成する二十歳前後までに形成されたものがその人のベースで、それがその後の人生で上昇したとしてもごくわずかだと思う。成長後の大人に要求されるのは経験による成熟という水平方向的な広がり、イメージとしては三角形的なものから台形的になって行く感じだろうか。その者の持つベースに応じたレベルで、いろいろと経験し幅が広がって行き社会的能力が身に付いていく訳で、常識的に考えれば能力差は広がる事はあっても縮むことは無い。

 坂東玉三郎が以前、師匠から受ける注意は一回だけ、その時その注意の意味を理解できなかったとき二度と注意はしてくれませんと、言っていたがそれが大人の指導というものだろう。厳しさというより合理的判断なのである。注意の内容の重要性を感じ取る資質が受け手に無い場合、いくら注意しても時間の無駄なのである。要するに資質がないのである。自分の資質に応じた範囲内でしか人は成長できい。それだけの事である。(逆も真で、自分の資質を超えて人を指導することは出来ない。指導される側の資質が勝っている場合、指導者にそれを受け入れる度量がないと、威圧という手段をとることになる。)

 中年以降に能力向上の伸びしろなどないであろう。中高年を対象とした能力開発などと言ったものはフィクションであって、現実には能力の減衰が始まっている。もはや指導の対象者ではないのである。自然は冷徹である。中高年に必要なのは能力向上にむけた無駄な努力ではなく、どの様に自分自身を経年変化させていくかだと思う。自分を変えられるのは自分だけである。私が思うに中高年以降に大切なのは心を如何にしなやかにして行けるかだと思う。社会的成功を収めても晩年になって重度の心の硬化を発症し人間的にはまったく魅力のない高齢者もいれば、例え認知症になっても人間的に魅力的な高齢者も結構いるものである。

 心をしなやかにしていくにはどうすればいいのか。「初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき堕落が始まるのね」という茨木のり子の言葉が示唆に富んでいると思う。「自分を大切にするように、隣人を大切にせよ」「たとえ敵対する相手でも人として大事にしろ」というマルコの言葉を思い出す。人は人を人と思うレベルに応じて人格が陶冶され、人は人を人と思わなくなるレベルに応じて心が硬化し醜悪になって行く。

 中高年になり若い時に比べ不機嫌になることが増えたり、他人を許容できなくなってきた場合には、自分の能力以上の事に手を出し過ぎていないかどうか、自分の生き方に何か問題がなかどうか、自分自身の退行から眼を逸らさず冷静に見つめ直す必要があると思う。人を人と思うゆとりを失わない為に。

ケアプランふくしあ  木藤
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 11:24コメント(0)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援

2021年06月29日

いざ、外出!

6月といえば・・・




紫陽花!








ということで紫陽花を見るためお出かけをしてきました。


例年なら、紫陽花見学の為に幸手市の権現堂まで行くのですが今年はコロナの為、駐車場が開いていないとの事で外出予定を別の場所に行くことにしました。




今回の場所は岩槻の城址公園に決まりました。


城址公園は桜の花の名所として知られていますがこの時期には紫陽花や赤い『八ッ橋』が掛かった菖蒲池に睡蓮、菖蒲が咲き風情を感じることが出来ます。




皆さん橋を渡り見学をすることが出来ました。普段よりも長い距離を歩く姿を見ると、歩行練習でシール帳を作り歩いているために、体力がついているのだとスタッフは驚きと共に嬉しさがありました。






梅雨で曇り予報が一変、天候に恵まれ散策の後はおやつとお茶でお腹を満たし今回の外出は無事に終えることとなりました。













7月には七夕祭りを予定し目下、扇子、風鈴、神輿を絶賛制作中です。
  


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ふくしあ-通所介護(デイサービス)

2021年05月26日

らっきょう漬けをしました!

雨が続いたり、晴れて暑くなったりと気温差で体調を崩しやすい季節ですが、、皆様お変わりなく過ごされていますか?
スマイルふくしあの利用者様は今週も晴れた時間に近くの土手や神社まで散歩へ行かれています。
花を見て『この花はなんだろうね~』など話ながら楽しく散歩しています。


神社の前の玉ねぎは日に日に大きく成長をしています。



24日にらっきょう漬けを行ないました。
らっきょうの皮を慣れた手つきで向いてくださり、あっという間にできました。


漬かるのに2週間ほどかかりますが、今から食べるのが楽しみです。


担当はスマイルふくしあ山口でした。  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 11:55コメント(0)

2021年05月22日

梅雨入り間近・・・


5月に入り各地で例年よりも早く梅雨入りが発表されていますが、関東も今年は早く梅雨入りする予想となっています。
梅雨入り宣言はまだですが、雨が続いていますね。
そんな中の貴重な晴れの日に近くの公園までバラを見にドライブへ行きました。


バラにも色々な種類がありとてもキレイでした!

雨が降っていても室内で活動的に動いているご利用者様たち!!
一緒にゲームを作成し、一緒に盛り上がっています。



先日はふきの皮むきを手伝って下さいました。
『亀の甲より年の劫』とは本当で、慣れた手つきであっという間に皮むきが終わりました。


おやつに細かく切っておにぎりに混ぜて皆様と召し上がりました。
季節の味を美味しく頂きました。

担当はスマイルふくしあ山口でした。  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 09:28コメント(0)

2021年05月13日

オープンから1ヶ月!!

4月1日から看護小規模多機能型施設〈スマイルふくしあ〉がオープンしました。

4月は利用者様と買い物へ行ったり、買ってきた物品の値札を取って頂いたりと色々な事を手伝って頂きました。


5月と言えば端午の節句です。
鯉のぼり作りも皆様と一緒に行ない素敵な作品が完成しました。
鯉のぼり

越谷の不動橋へも鯉のぼりを見に行ったり、手作り柏餅を召し上がったりと季節を感じて頂きました。



今年は例年に比べ各地で梅雨入り宣言が早いと言われていますが、スマイルふくしあでは花紙を広げたり皆様の力を借りて可愛い壁画を作成しました。
壁画



関東地方も段々と梅雨入りが近づいていますが、天気の良い日は散歩やドライブなどに出かけ花々を楽しみたいと思います。

担当はスマイルふくしあ山口でした。
  


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2021年03月28日

いろ彩 ふくしあの家

利用者様と一緒に食器を新聞紙などに包んだり、段ボールを一緒に組み立てを手伝って頂き、3月13日と14日に事業所の移転を行いました。


15日から新しい場所での営業となりましたが、皆様大きな建物の中や外を歩いたり、大きなお風呂での入浴を楽しまれています。

新しい施設で迎えたお彼岸は、今年もぼた餅を皆様と頂きました。



今年は暖かい日が多く、平年より開花予測で10日、満開予測でも9日(埼玉県熊谷市)でしたが、昨年よりは1~2日遅いとのことでした。

この一週間ぐらい前からの朝・晩の送迎中に
利用者様より、「あ・桜が咲いてきている」
「きれい」「ここは桜が咲いているが、あそこは咲いていない」などの声が聞こえておりました。


桜を見ながら「桜の歌」を口ずさむ利用者様もいらっしゃいました。

今年は、残念ながらコロナ禍で、お花見は出来ませんが、車の中より、一瞬でも、和まれる時でした。
来年は、どうぞ、利用者様といっしょに、お花見が出来ますように!!




  


2021年03月06日

ふくしあの家のひな人形




今月3日は桃の節句「ひな祭り」でした。
ふくしあの家もご利用者様といっしょに、お祝いをしました。

まずは、美味しい”ひな祭り特製ランチ”で、お腹一杯になりました。
皆様から好評を頂きました、ちらし寿司に天ぷら、デザートに、甘いイチゴにプチロールケーキ。
しぜんと、笑顔になり「美味しい」「甘い」など、お声が聞こえてきました。




3時のおやつは、もちろん 「ひなあられ」と「桜餅」!!



最後に、ひな人形と記念撮影を行いました。
皆様、とってもいい表情をされていました。




ひな祭りの前に、可愛いひな人形を皆様と作成し持って帰りました。


  


2021年02月24日

第二の人生を力強くスタート

こんにちは、1月からケアプランふくしあにお世話になっています、大原です。
リタイア後、介護保険者証も受け取り皆さんと近い介護支援専門員になりますが、若いスタッフに囲まれて楽しく仕事を再開しています。
コロナのワクチン接種がいよいよ始まっています。私も65歳以上の高齢者で対象になります。順番が回ってきたら受けたと思っています、皆さんはどうでしょうか?      
接種後の不安も大きいと思いますが一人でも多くに方が接種できて、また前のような日常生活が戻ってくるならば・・・と強く思います。今外出も控えていたり、人との交流の機会が減っています、身体にもいろいろ影響が出てきています。前のように外出ができ、人との交流が取れて楽しく毎日が送れて、今年の桜をすっきりした気分で家族や友達、一人静かに眺めたいです。                          
 花粉対策もしっかりしましょうね。 元気に過ごしてください。  
     ケアプランふくしあ 大原  
  


Posted by ふくしあ-セブンスマイル at 17:09コメント(0)
ケアプランふくしあ-居宅介護支援